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無駄を省くリスク

昔、内容証明を送ったことがある。
 
商品を買ってくれたお客さんとのトラブルで、
双方の意見が食い違った時に、やむを得ず送った。
 
他の連絡手段を、ことごとく断たれ、
こちらの本気度を示すには、他の方法がなかったからだ。

 
ただ、こちらとしては商品に興味を持ってくれた
お客様であるし、当たり前だけどトラブルを
大きくしようなんてつもりはない。
 
 
なので、できるかぎり
 
「あなたの言い分も、とてもよくわかる」
「一度、お互いの考え方を整理しましょう」
 
という書き方をして、相手の気持ちに
寄り添おうと思っていた。
 
 
ところが、
 
普通の内容証明って、文字数と行数が
決まっているんだよね。
 
なので、普段書いているような
「相手の気持ちに寄り添おうとする」ような
文章を書いている余裕がない。
 
いきなり本論に入らないと
文字数の都合上、しょうがなくなる。
 
 
結局、限られた文字数の中で考えられる限り
相手に寄り添った文章を書いたんだけれど、
どう見ても物足りないものしか出来なかった。
 
 
 
 
 
そして今日、自分のセミナーを告知する
文章を書いていたんだけれど、

告知メディア側が決めた文字制限で、
なかなかうまく説明をすることができない。
 
 
普段書いている文章が「読み手の感情」に
フォーカスしたものが多いから、
どうしても文章が長くなってしまう。
 
でも、メディアに掲載するためには
文字をどんどん削っていかなければならない。
 
 
その結果、出来上がった文章を読むと、なんか
もともとは壮大なスケールの映画音楽とか
交響曲だったのに、
 
オルゴールとか、駅前スーパーで
かけられているBGMみたいに変わっている
印象を受ける。
 
 
 
でね。
 
 
そんな話を受けて、今回伝えたいのは、

「無駄を省くことのリスク」
 
だったりする。
 
 
 
 
お客さんとのトラブルを解決するのに
無駄をゴッソリ取り払った文章は
 
「今回、商品代、返す」
 
だけでいいのかもしれない。
 
 
 
セミナーの告知には、
 
「目標設定、したい人、来い」
 
だけなのかもしれない。
 
 
 
でも、
 
無駄を省いて、省いて、省いた先にあるのは、
 
あったかな人間関係じゃないような気がするんだよね。
 
 
相手を分かろうとする気持ち。
 
「こう思っているんじゃないですか?」と推測して
相手に聞いて見る姿勢。
 
相手とつながった上で、
こちらの話を聞いてもらおうとする態度。
 
 
そんなことを大事にした方が、
やっぱりいいんだなぁ、と思うんだよね。
 
 
 
普段の仕事上、忙しくなったり
利益最大化を狙ったりすると、つい
 
「無駄を省こう」
 
という意識がでてきてしまう。
 
 
 
それはそれで大切な要素ではあるんだけれど、
やり過ぎてしまうことがありそう。
 
 
「無駄な無駄」と、
「本当は大切な無駄」を、
取り違えないでいきたいよね。
 
 
組織でも、個人でも。
 
 
ではではー
 
 
 

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