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あこがれの誤認

先日、友人と飲んでいた時の話。
 
彼が大学生の時、
素晴らしい大学教授に出会えたそうだ。
 
 
その教授の魅力に衝撃を受けて、彼は
 
「よし!僕もあの教授のような人間になろう」
 
と心に誓った。
 
 
そして、大学院に進み研究者となり
膨大な量の論文を読み、そして自分も書いた。
 
 
しかし、やっている間に 
 
「これは、僕には向いていないんじゃないか?」
 
という疑問に、何回も襲われたそうだ。
 
 
その疑問は時が経つにつれて日増しに
大きくなっていったのだが、
 
「いやいや、この苦労を超えなければ
 あの教授のようにはなれない」
 
「ここは通過点だ。
 ここで逃げてはいけない」
 
「まわりも応援をしてくれている」
 
と、歯を食いしばって頑張った。
 
 
 
そんな彼には、もう一つの顔がある。
 
それは「作詞家」という顔だ。
 
 
メロディーに合わせ、そこに言葉を乗せてゆく。
 
言葉が短すぎてもダメだし、長すぎてもダメ。
 
そして、全体の詞として美しくないと無意味。
 
 
作詞というアートに魅せられている彼も
本当の彼だ。
 
(ちなみに、メロディーに詞を乗せていくのが
 「メロ先」。
 
 詞にメロディーを後から乗せるのが
 「詞先」ということを、先日初めて知った。
 
 彼は「メロ先」の作詞家なのね)
 
 
 
大学教授になろうと努力しつつ、
作詞家としても日々頑張る彼に、転機がおとずれる。
 
作詞家として、大きな仕事を任されるか否かの
機会が巡ってきたのだ。
 
しかし、大学教授を目指すことと
作詞家に専念することは
物理的時間もあり、両立は難しい。
 
 
 
その時、彼はハッと気がついたらしいんだよね。
 
 
「僕は、あの教授の人柄や生き方に
 魅せられていたんだ。
 
 何も“教授”の彼のことが好きだったわけじゃない」
 
 
ってね。
 
 
彼は、そんな自分に
 
「あこがれの誤認」
 
という言葉をあてた。
 
 
彼は悩んだ末、大学教授になることを
ひとまず中止することにした。
 
あと少しで修士になる大学院も
やめることにした。
 
 
そして、自分が心からやりたい作詞の世界に
エネルギーを捧げることを決めたんだよね。
 
 
「大学教授にならなくても、
 僕があこがれている、あの教授のような人に
 僕らしいなり方で、なればいい」
 
 
そんな風に、さらりと語ってくれた彼の目は、
とっても輝いていた。
 
 
ちなみに、彼のすごいところは
単なる「夢追い人」ってわけじゃなくて、
仕事もバリバリこなしている
スーパー社会人であるということ。
 
エネルギーはハンパないっす。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
今回は彼の話だったけれど、
振り返ってみると、私たち全員が
 
「あこがれの誤認」
 
をする可能性ってあるなー、と思ったんだよね。
 
 
素敵な人物にあこがれる。
 
輝いている人をみて、尊敬のまなざしを送る。
 
 
そして、
 
「よしっ!自分もあの人みたいになろう!」
 
と努力を始める。
 
 
 
それは、とても素晴らしい事だと思うんだけれど、
ちょっと待って!
 
 
行動を始める前に、
自問しておいた方が良いかもしれない。
 
 
「私は、あの人のどこに
 あこがれを抱いているんだろう?」
 
 
って。
 
 
あこがれを持つのは素敵な事だけれど、
その人はその人で、あなたはあなただ。
 
 
あなたは、その人になんて、ならなくていいよね?
っていうか、なれない。
 
だって、あなたなんだから。
 
  
あなたは、あなたのままで
「もっと望ましい私」を目指せばいい。
 

だとしたら、あこがれをもって行動する前に
対象である人の「どこ」にあこがれているのかを
確認しておいても、遅くはない。
 
 
その人のやっている職業そのものなのか?
 
ファッションなのか?
 
人から注目を浴びるところなのか?
 
美しさなのか?
 
人柄なのか?
 
あり方なのか?
 
 
 
つい、あこがれている人が現れると
 
「よしっ!私も!」
 
と、その人の全てを吸収しようとしちゃうかもしれない。
 
 
でも、その「あこがれの誤認」は、
全部が無駄とは言わないけれど、
もったいないかもしれない。
 
 
あなたは、あなたにしかなれないし、
あなた以外のものにならなくていい。
 
あこがれの対象が、その人自身しか
生きることができないのと、同じように。
 
 
 
「あこがれの誤認」をして行動をすると、
それを止めるのは、始めるよりも難しい。
 
 
「もう、やり始めてしまった事だから
 ひと段落つくまでは、やり続けないと」
 
とか、
 
「応援をしてくれる人たちに
 なんか申し訳ない」
 
みたいな気持ちが、どうしても生まれるからね。
 
 
今回、話をしてくれた彼の場合は特に、
 
「今、大学院に通っていて、大学教授になる」
 
というところから
 
「なんの保証もないけれど作詞家を目指す」
 
に、舵を切り替えたんだから、
これは相当な勇気がいると思うんだよね。
 
自分自身に対しても、周りの応援者に対しても。
 
 
 
それでも舵を切った彼のことを素晴らしいと思うし、
そんな大決断を
 
「あこがれの誤認だったわ」
 
と笑って話してくれる彼を、
本当に尊敬する。
 
 
私自身も、誰かに「あこがれの誤認」をしていないか、
自問自答してみようと思いましたわ。
 
 
今のあなたには、今日の話は
どんな風に響きましたか?
 
 
ではでは。
 

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