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学びとは、何のプロセスか?

私の記事を読んでくれている人は
とっても向上心が高い人が多い。
 
なので、自分が成長するための学びを
意欲的に継続している人も多いと思うし、
それはとても素晴らしい事だと思う。
 
 
で、
 
先日飲んでいた時に、友人が言っていた
「学びとは?」の定義が面白かったので
今回はそれをシェアしようと思う。
 
 
その話をしてくれたのは、
以前の記事でも紹介した
社会人でありながらも大学教授を目指していた
今は作詞家志望の友人。
 
 
彼は学びについて、こう言った。
 
 
「学びとは、本領発揮のプロセスである」。
 
 
 
つまり、私たちは色んなジャンルのことを学ぶ。
 
まったく新しい知識や技術に触れることもあるだろうし、
既に知っていることを更に深く追求することもある。
 
 
しかしそれらは全て、同じ目的を持っているのではないか?
というのが、彼の仮説だ。
 
 
その目的というのが、彼の言葉で言うと
 
「本領発揮するため」
 
ということになる。
 
 
人は誰でも、素晴らしい才能を
生まれながらに持っている。
 
生まれた時に、全てを持っているのだから
あなたは、ありのままで良いんだよ、
 
みたいな考え方もあるくらいだ。
 
 
しかし、彼の言葉からすると、
その才能は、持っているだけで光り輝くか?
というと、そういうわけでもない。
 
 
才能は全ての人にある。
 
しかし、その「本領」が発揮できるかできないかは
生まれてのち、その才能を引き出すプロセスを
経たかどうかにかかっている、というわけだ。
 
 
そのプロセス。
本領発揮のプロセスこそが「学び」の正体である、
 
と、彼は説くんだよね。
 
 
 
うーむ、たしかにそうかもしれないなぁ、
と思う。
 
 
そもそも「教育」の英語「education」は、
語源からすると「引き出す」だそうだ。
 
 
才能を引き出す行為が教育なのであるのならば、
学びは「本領発揮のプロセス」と言っても
良いように思うんだけれど、どうだろう?
 
 
 
もし、神様かなんかが
 
「お前に、人類史上、世紀の大発見をする能力を与えよう」
 
と告げてくれたとしても、その人が全く興味がなく、
学ぶこともなかったら、生涯普通の人として過ごすだろう。
 
 
逆に、スーパー凡人であったとしても、
学んだことを自分の肚に落とし、実践をするのであれば、
その人の持っている実力=本領は
いかんなく発揮されることになるだろう。
 
 
「学びとは本領発揮のプロセス」。
 
 
けっこう、言い得て妙な言葉だなぁー、
と思いますわ。
 
 
 
さてさて。
 
 
そして我が身を振り返る(笑)
 
 
私は、たとえば文章とかについては
体験から多少なりとも学び、
今の自分の「本領」は発揮出来ているんだろう。
 
(もちろん、もっと深い本領発揮をめざすけどね)
 
 
ただ、もしかしたら、私の他の「本領」については
発揮されていない「未発掘分野」も
あるのかもしれない。
 
 
それは、
 
マラソン選手になる本領かもしれないし、
一流シェフになる本領かもしれないし、
政治家とかになる本領かもしれない。
 
 
まぁ、自分自身がやりたくない事については
どうしても学ぶ気にならないから、それはどうでもいい。
 
 
でも、もしかしたら
 
「こんな“自分の本領”も、
 バラエティの一つにあっても良いかもな」
 
というものが、まだ自分という地面の奥底に
隠されているかもしれないよね。
 
 
だとするならば、
 
 
まだまだこれからも、
いろんな「本領発揮」のプロセスを体験したいし、
それは実現可能だなぁ、なんて思った次第。
 
 
 
「学び」という言葉を
また別の角度で見ただけでワクワク出来るなんて、
とってもお得な感じやわ(笑)
 
 
さて、
 
 
あなたの中に埋もれている「あなただけの本領」。
 
それを今から、どうやって掘り起こしていきますか?
 
 
ではでは。
 
 

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