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幸せって何だっけ?

ド直球なタイトルだけど、
まぁ、こういう事なんだな、とあらためて
感じたことがあったので、今回はそれをシェア。
 
 
さてさて。
 
ものすごーく大ざっぱな分け方として
成功を考えた時には、2つの成功があると思う。
 
それは
 
「社会的成功」
 
と、
 
「個人的成功」。
 
 
 
社会的成功っていうのは、たとえば
立派な肩書きが持てたとか、有名になったとか、
お金持ちになったとか、そういった類のこと。
 
 
対する個人的成功っていうのは、たとえば
好きな事が見つかって、それをやれたとか、
幸せな恋人とか家族に囲まれたとか、
自分を表現するアートが出来たとか、そういうこと。
 
 
もちろん、お金が個人的成功に直結していたり
家族という組織が社会的成功と
イコールの場合もあるだろうけれど、大きく分けると、ね。
 
 
 
で、
 
 
それのどっちが大切か?という話になると、 
いろんな意見があるとは思うけれど、
個人的には
 
 
「両方に決まっとるやん?」
 
 
と思う。
 
 
ものすごく有名になってチヤホヤされて、
大金持ちになったとしても、
プライベートはものすごい寂しいってのはヤだし、
 
だからといって、プライベートは
ものすごく充実しているけれど
社会的には残念男子の貧乏人、ってのは
御免こうむりたい。
 
 
両方あって、初めて「ああ幸せ」と実感できると
思っているんだけれど、どう思う?
 
 
 
そして、
 
この社会的成功と個人的成功って、
つきつめて考えてみると、けっこう相反するパワーが
必要だったりするんだよね。
 
 
というのは、社会的成功をつかむためには、絶対に
「環境適応」が必須。
 
そして、個人的成功をつかむためには、
「個としての強さ」が必須だったりする。
 

そして、この2つは真正面からぶつかることも
けっこう多い。
 
 
 
有名になるにしても、お金持ちになるにしても、
肩書きを手に入れるにしても、
「社会」的成功なわけだから、
「社会」に適合していないと、何も手に入らない。
 
現代の社会のニーズにマッチしたものを提供すれば
それはお金になる。
 
自分の所属している組織やコミュニティにマッチした
能力だったり性格を持っていれば、
そこでの人気は高まる。
 
その規模が大きければ、大金持ちになったり
大人気を得たりするわけだ。
 
社会的成功に、それ以外の要素はない。
 
 
どれだけ環境に適合したか?
 
適合した能力などを、どれだけ提供し
エネルギーを注ぎ込んだか?
 
 
それだけが社会的成功を得るための
唯一の法則で、他は枝葉末節にすぎない。
 
 
 
じゃあ、個人的成功はどうか?というと
今度は真逆に働く場合も多い。
 
「これは、私が大切だと思うんだ」
 
「これを表現出来ていられれば、それでいい」
 
と思うものに情熱を傾け続けられる強さ。
 
他の人が何と言おうが、自分の信じた「アート」に
エネルギーを注ぎ続けられるパワー。
 
それが個人的成功には必須だと思う。
 
 
「これって、自分的にはどうかな?
 と、思っているんだけれど。。。。」
 
と思うものが評価されたところで、
個人的成功をしたとは言えないだろう。
 
 
自分が快楽を感じるものに快楽を感じ、
自分が苦痛だと感じるものに苦痛を感じる。
 
 
そんな存在・対象・人がそばにあることこそ
個人的成功の正体なんじゃないかな?
なんて思う。
 
 
もちろん、人は一人では幸せを実感しにくいという
側面を持っているので、なかなか
自分を貫くというのは勇気とパワーがいる。
 
 
でも、そんな自分に寄り添ってくれる
人、対象があることこそ、個人的成功を
味わえる条件なんじゃないかな、と思う。
 
 
なので、
 
「人のためにがんばる事こそ、成功の秘訣だよ」
 
というのは、あくまで社会的成功の意味であって、
 
 
「自分の信じたアートを信じ抜く」
 
という個人的成功とは、ちょっと意味合いが違うな、
なんて思う。
 
 
 
中には、自分の信じた道が、
たまたま時代のニーズにマッチしていた
と言う人がいる。ごく一握りだけどね。
 
 
そんな人は、自分の道を貫けば貫くほど
世間的な評価も増す、という人たちで、
それはそれで素敵だなー、と思う。
 
 
(まぁ、今まで実際に会ってきて、
 本当に、本当に好きな事だけしていて、
 かつ社会的成功もおさめている人なんて
 お目にかかったことないけどね)
 
 
 
で。
 
 
そんな事を考えていたら、
 
「これって、生命進化の過程においても
 まったく同じ事が起こっているんだな」
 
なんて妄想が転がってしまった。
 
 
 
つまり。
 
 
地球上の生命体という意味においては、
絶対必須なのが、
 
「環境適応」
 
だよね?
 
 
「弱肉強食」ってのは、ミクロの視点で見た時の話で、
マクロの視野からみたら、弱肉強食ってのは
原理原則ではない。
 
 
環境に適応したものが、生き残り繁栄する。
 
恐竜が滅び、ゾウやライオンが絶滅しそうなのは
環境に適応しなかったからだ。
 
 
ミジンコや人間が生き残り、繁栄しているように見えるのは
単に環境に適応してきたからにすぎない。
 
(ミジンコって、ずっと繁栄しててすごいよね)
 
 
 
しかし、個体レベルで考えた時には
 
「個としての強さ」がないと、
生命は生き残ることが出来ない。
 
 
さっきも書いたとおり、ミクロレベルでは
弱肉強食は、泣いても笑っても真実の一側面であるし
そこを否定しても、何も始まらない。
 
 
 
人間は、人間社会と言う視野でみた時には
環境適応するものが隆盛するし、
 
個体レベルでの強さも、ミクロレベルの視点で見た時には
必須といえるってわけだよね。
 
 
 
私たちを動かしている幸せという名のプログラムは
 
「環境に適応しろ!」
 
というプログラムと
 
「個として強くなれ!」
 
っていうプログラムの2面性で出来ているのかもしれない。
 
 
それが地球全体で考えた時も機能し、
人間社会という境界で見た時も機能しているってのが、
なかなか面白いなぁ、と思った次第。
 
 
 
まぁ、今回の話には、特にオチはないんだけれどね(笑)
 
 
バランスをとりながら、
そしてある時はどちらかに傾きながら
 
「幸せって何だっけ?」
 
を体感して行きたいと思いますわ。
 
 
ではでは。
 

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