スポンサーリンク

否定者は、相手にエネルギーを与える

先日、とある市の市長選があったんだけれど、
現職市長と新人候補の一騎打ちだったのね。
 
 
私は政治についてはチンプンカンプンだし、
特に記事で発信したい理念もない。
 
 
 
ただ、その上で
 
 
「なるほど、面白いなぁ」
 
 
と思ったことがあったんだよね。
 
 
 
 
 
今回の市長選の前に、
現職市長は、ゴミの有料化を計画していた。
 
 
ゴミ袋を有料にして、戸別回収するという方法ね。
 
 
 
対して、新人候補が前面に打ち出したのが
 
「ゴミの有料化は、しない!」
 
という政策だった。
 
 
 
まぁ、ゴミの有料化にも賛否両論あるんだろう。
 
 
けれど、
 
相手が「やる」と言っている事に対して
「やらない」と否定して立ち向かっている時点で
ちょっと難しいと思った。
 
 
 
だって、すでに相手の土俵に立ってしまっているじゃない?
 
相手の土俵がなくなったら、争点がなくなるという勝負、
どちらがイニシアチブがあるといえるだろう?
 
 
 
 
 
 
結果として、
 
やはり現職市長が選挙で勝ち、
新人候補は落選してしまった。
 
 
 
 
 
 
 
この選挙の顛末は、単にひとつの例なんじゃないかな?
 
 
政治だけじゃなくて、日常の世界でも
似たようなことがたくさんあると思う。
 
 
 
 
基本的に、「やる」というエネルギーは
「やらない」というエネルギーでは
変えることが出来にくい。
 
 
「別のことをやる」というエネルギーに転換しない限り、
「やらない」という力は、
相手をより強くしてしまうことが多い。
 
 
 
 
仕事のプロジェクトでもそうだし、
 
家の中のことでもそうだし、
 
個人で決めたことでもそう。
 
 
 
「今度は、これを売ろうと思う」
 
と会社が決めたことに「売らない」という方法では
反対しにくいだろう。
 
 
 
「今度の休みには、家族でここに行こう」
 
という計画に「どこも行かない」という提案は
非常に通りにくいだろう。
 
 
 
個人でも、
 
「太りそうなものは、食べない」
 
とか、
 
「ネットやテレビは、見ない」
 
という決めごとは、ほとんど効果がないというのは、
多かれ少なかれ、みんな経験しているでしょ?(笑)
 
 
 
 
 
 
なので、
 
何かに対して「それはイヤ」と思ったら、
否定するのではなくて、別の「やること」を考えよう。
 
 
 
 
。。。ということなんだけれど、
 
 
「そうは言っても、それが難しい」
 
 
というのが現実だと思う。
 
 
 
全部が全部、すぐに代替案は出せないだろうし、
その代替案が全部通ることはないかもしれない。
 
 
 
会社の意思決定者や、現職の人が決めたことは
そうは覆らないだろうからね。
 
 
だから基本、現在実権を持っている人の方が
何事に対しても有利という側面はある。
 
 
「やる」と決めることもできるし、
本人的にはキツイだろうけれど、否定されるエネルギーも
「もらう」ことができるからね。
 
 
 
 
なので、
 
 
全部が無理だったとしても、出来る範囲の中で
自分が「意思決定者」になる、ということに
慣れてみるのも、いいかもしれない。
 
 
 
仕事のプロジェクトでも、
小さいところから意志決定をしてみる。
 
 
家族の中でも、なにかしらの意志決定をしてみる。
 
 
個人レベルで、意志決定をしてみる。
 
 
 
そして、その意思決定を
 
「~~~を、やらない」
 
というものではなく、
 
「~~~を、やる。やってみる」
 
としてみるのは、いいかもしれない。
 
 
 
色んな否定的な意見も出てくるかもしれない。
 
 
同じ会社の中で、
 
家族の中で、
 
そして、自分自身の中で。
 
 
でも、その否定的なエネルギーは、
最終的にあなたにエネルギーを提供してくれる。
 
 
それがどうやら、自然の摂理みたいなんだよね。
 
 
 
ずいぶん前に
 
「鶏口となるも、牛後となるなかれ」
 
という話も書いたんだけれど、
 
 
大きな組織の歯車のひとつよりも、
小さな組織であっても、トップであった方が良い。
 
 
というのも、たぶんひとつには
 
 
トップ、意思決定者であった方が、
 
「やる」というエネルギーを出しやすいからなのかもしれないね。
 
 
 
「やらない」とか「黙って従う」よりも、
「やる」というエネルギー。
 
 
 
できるかぎり、そういったエネルギーを出した方が
充実しやすいのかもしれないよね。
 
 
ではでは。
 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク