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仕事仲間のリトマス試験紙。

「頼れる仲間と仕事をしたい」
 
「素敵な同僚に恵まれて
 やりがいのある仕事をしたい」
 
というのは、多くの人が望んでいることだと思う。
 
 
人によって働く時間帯は違うだろうけれど、
たとえば朝の9時から夕方5時とか、
もっと遅くまで働くとする。
 
1日24時間のうち、8時間とか、
もっと長く働くわけだけれど、
その時間帯って、1日の時間のうちでも
もっとも色々な事が出来る
 
「1日のうちのゴールデンタイム」
 
だよね?
 
 
あなたにとって最高のゴールデンタイムを使って
仕事をするわけだから、
そこで一緒に過ごす人は、あなたにとって
素晴らしい人であることが望ましい。
 
そりゃそうだよね。
 
 
 
私自身は、最近は、
 
「なんでこんなに素晴らしい人たちと、私なんぞが
 一緒に仕事できるの?」
 
みたいに思うような人ばかりと
さまざまななプロジェクトを仕掛けることができていて、
本当にありがたいなぁ~、なんて思っている。
 
 
以前は、はじめは良かったんだけれど
プロジェクトが進むにつれて
 
「あれ?」
 
と、ギクシャクするようなこともあり、
 
「なかなか、人と一緒に仕事するのって
 大変だなぁ」
 
なんて思う事も、しばしばあった。
 
 
 
でね。
 
 
どうやら、仕事において、
素晴らしい成果を挙げる人と、
そうでもない人を分ける違いというか、
 
たったひと言で、信頼できるかどうかを
ある程度見分けられる言葉があるのが分かってきた。
 
なので、今回はそれをシェアしようと思う。
 
 
 
 
といっても、話は非常にシンプルだ。
 
 
これから仕事を一緒にしようと思った時に、
ある単語から連想するイメージを聞いてみればいい。
 
その単語から連想するイメージが
その人の仕事の取り組み方を決定づけている。
 
 
その単語っていうのも、なんのひねりもない言葉。
 
 
「責任」
 
 
なんだよね。
 
 
 
 
ある人は、
「責任」という単語から連想するイメージには
ある種の痛みをともなう。
 
 
「できるかぎり、背負いたくない」
 
「それは、私には無関係の言葉だ」
 
「ああ、政府とかは、しっかりしてほしいよね」
 
「うまいことすり抜けるのが、
 社会人として長くやっていく秘訣だ」
 
 
みたいな感じだね。
 
 
あと、その人が責任を負うわけじゃなくて、私が
何かの責任を負おうとすると、
 
「そんなの、バカを見るだけだから
 やめておいた方が良いよ」
 
「人生の先輩として、
 出来る限り他の人に責任は取ってもらう形に
 した方が賢いよ」
 
とアドバイスしてくれるような人も、
「責任」というフレーズに痛みを覚える人たちだ。
 
 
 
逆に。
 
 
「責任」という単語から
ある種の快楽を連想する人もいる。
 
 
「なにそれ、面白そう!」
 
「おお!私もこれだけの責任を負える所まで来られたか!」
 
「(笑いながら)キツそう~~!」
 
 
みたいな感じ。
 
 
そこまで行かなくても
 
「まぁ、得たい果実があるんだから
 当然といえば当然だよな」
 
とか、
 
「えー、仕方ないなぁ。やりますよ。
 やりますよったら、やりますよ!!」
 
と、成果を得るためには必ずくぐり抜けなければいけない
「セット」であることを理解している人もいる。
 
 
 
そして、
 
当然のことながら、後者の
 
「責任という言葉をポジティブにとらえる」
 
人の方が、一緒に組んでいて、信頼ができる。
 
 
もしかしたら、ものすごく大きなプロジェクトとかになると
話が違うのかもしれない。
 
いろんな人がいた方が、いいのかもしれない。
 
 
ただ、私がやるような小さな規模のお仕事に関しては
この
 
「責任=ポジティブイメージ」
 
は、必須のような気がする。
 
 
 
なので、
 
リトマス試験紙みたいに人を判断するのは失礼だけれど、
私自身もそんなに余裕があるわけでもないし、
やるからには尊敬できる人と一緒にお仕事したいので、
 
さらーっと、さりげなく会話に「責任」という言葉を
潜り込ませたりする。
 
 
 
ダイレクトに
 
「あなたは“責任”という言葉に
 どんなイメージを持っていますか?」
 
みたいに聞けば、これから一緒に仕事をするという
シチュエーションにおいては、誰だって
ある程度前向きな事を言う。
 
 
なので、相手が気づかないように
 
さらさらーっと、会話に紛れ込ませて
相手が連想することを聞いたりするわけだよね。
 
(え?人が悪いって?
 ナニヲ イマサラ(笑))
 
 
 
そして、この話には、もう一つ大きな秘密がある。
秘密と言うか、告白だ。
 
 
それは、私自身が「責任」という言葉に対して、
以前は相当のネガティブイメージを持っていたのね。
 
 
でも、
 
大きな会社を離れ、
 
1人で株式取引をするようになり、
手痛いダメージを負いながら、なんとかやってきて、
 
誰かと仕事をする中で
我ながらすさまじい逃げも自分がやってきながら、
 
 
徐々に、
 
「ああ、責任って、こういうことか。。。」
 
と、連想するイメージを
やっとこさっとこ更新してきた。
 
 
そうした結果として、
今は、心から尊敬できる人たちと
お仕事ができるような環境になってきている。
 
 
責任から逃げると、
責任を取りたくない人がそばに集まる。
 
ふんばろうとすると、
同じような考えの人が、より集まってくる。
 
 
最近は、やっとそんな事が実感できるように
なってきつつある。
 
 
 
私の昔を知っている人がこの記事を見たら、
 
 
「お前が責任について、語るんじゃねぇ!!!」
 
「イグゼロ、お前こそ責任から逃げる張本人じゃないか!」
 
 
と、お叱りを受けるのが手に取るように思い浮かぶ。
 
 
なので、私がこんなことを書くのは、
本当におこがましいなぁ、と思う。
 
 
ただ、最近やっと、昔の仕事仲間が言っていた意味が
分かりかけてきたのかなぁ、なんて思えたので、
あえて書いてみました。
 
 
 
「責任」という言葉。
 
そこから思い浮かぶイメージ。
 
 
それは、相手を試すリトマス試験紙というよりは、
自分自身のあり方を見直す、リトマス試験紙なのかもしれないな、
 
なんて思う次第。
 
 
うーむ、
どうかこの記事を、昔の仲間が読みませんように。
 
と、責任逃れをする私(笑)
 
 
ではでは。
 

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