前回は、
「私自身の世界観には、フィルターがある」
という話をした。
(まぁ、それを子供向け番組から発見したという
なんともビミョーなシチュエーションでは
あったんだけれど)
自分が見ている世界は、
世界そのものを見ているのではなく、ゆがんでいる。
そして、おそらく私以外でも、誰でも、
「完全にゆがみのない、フラットな世界」を
見てはいないのだろう。
「ゆがみ」というとネガティブな印象だけれど、
その世界の見方が、その人の個性を作っている面もあるだろうし、
それが新しいものを生み出す原動力になったりもするだろう。
ただし、
やっぱりその「ゆがみ」というか、
「世界観のフィルター」が
現在の自分を決めているということも否定できない。
「お金を稼ぐには、額に汗を流さなければならない」
というのも、実は自分が勝手に決めた
世界観のフィルターだし、
「異性にモテるためには、外見が良くなければいけない」
なんていうのも、完全に個人的な世界観で、
ゆがみでしかない。
なぜなら、
(少なくともその時点で)額に汗を流さなくても
お金を稼いでいる人は、世の中にたくさんいるし、
外見がイマイチでも、異性にモテモテの人も
実はたくさんいる。
「古今東西、そして未来においても、
人類の中で、1人として例外はいない」
というのであれば、それは世界観のフィルターではなく
「本質」「原則」と言われるものになるのだろうけれど、
そうでなければ、すべての現象は
「世界観のフィルターのゆがみ」であり、
「思いこみ」であり、
「単なるサンプル」だ。
ね?そうだよね?
そして、
もう少しじっくり考えてみると、
世界観のフィルターって、実は自分が安心できるために
自らが作っているような気がしてきた。
「額に汗して働いてお金を稼ぐ」
というのは、
「実際に額に汗をして働かなくてもお金を儲けている人がいる。
でも、自分はそうなりたいのに、なっていない。
じゃあ、汗して働いていないひとの世界が間違っているのだ」
という「安心感」を形成するために、
自らがフィルターを作る。
もちろん、親とか近しい人のフィルターが
そのまま継承されることもあるだろうけれど、原理は同じだ。
親や近しい人からの拒絶は、
安心領域を侵す事態を招くからね。
また、
「イケメン、美女じゃないとモテない」
なんていうのも、
自分がモテていない理由を
「生まれつき」
にできる、最高に都合のいいフィルターと言える。
超絶にモテなかった思春期を過ごしてきた私が言うのだから、
これは間違いない!絶対の自信がある!(笑)
お金やモテに限った話じゃなくて、
世界観のフィルターの多くのものは
「自分が、そう思っていたほうが傷つかない」
「自分が、そう思っていると安心できる」
「自分が、そう思っていないとやってられない」
みたいな「安心領域」を生み出すために
作り上げちゃったものなのかもしれないなぁ、
なんて思う次第。
「努力しても、報われない時がある」
なんていうのも、
「ここまでが私の努力の限界」という安心領域だろうし、
「これ以外のアプローチをとりたくない」という
頑固さのあらわれだったりするかもしれない。
まぁ、私は全然人のことは責められない、どころか、
フィルターで自分を守りまくっているんだけれどね(笑)
今、メディアとか本とかで
「年収1億円」
みたいなキャッチフレーズが出ていて、
「うわー、すごいわー」
と思うんだけれど、先日ユニクロの社長、
柳井氏の個人資産が1兆4400億円だというのを聞いて、
「年収1億円になって、ほとんどを貯金したとしても
柳井さんに肩を並べるには、1万4400年以上も
かかるのかぁ」
なんて思ったりもした。
(まぁ、もちろん貯金じゃなくて運用とか、
いろいろ方法があるのは、一度置いておいて)
世界観のフィルターは様々で、
自分が「すごいわー」と思うフィルターの外にも、
まだ先のフィルターがある。
だから、
自分の今を作っているフィルターを愛することもしつつ、
「そのフィルターの外では、どんなことが起きているのか?」
「世界は、自分のフィルターを通さないとどう見えて、
見えた先には、何が広がるのか?」
みたいなことを考えないと、
「結局、世界なんてこんなもんか」
「つまらん世界だった」
といいながら、いつかこの世からオサラバすることに
なってしまいかねない。
もちろん、どんな生き方をしてもいいと思うんだけれど、
なるべくだったら、自分や自分の好きな人を
楽しくするフィルターを持っていたいなぁ、
と思う今日この頃。
ああ、
どうやったら、ダークサイドヒーローじゃなくて
正統派の主役を好きになれるんだろう?
私のフィルター交換、誰かしてくれません?(笑)
ではでは。