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ネガティブはDNA

「なんで私って、こんなにネガティブなんだろう?」
 
「楽しいこともあるはずなのに、
 どうしても辛いことの方を覚えちゃっているなぁ」
 
 
なんて、自己嫌悪する時って、あるかもしれない。
 
 
特に、真面目な人であればあるほど、
自分のネガティブさに悩んだあげく、
必要以上にポジティブになってみて、疲れて挫折する。
 
そんな繰り返しをすることもあるかもしれない。
 
 
 
そして、ネガティブとポジティブをグルグル回って、
しまいには、
 
 
「イヤなことばっかりに目が向いちゃって、、
 こんな性格、ホントイヤになっちゃう!」
 
 
なんて、
ツッコミどころ満載の発言をしそうになる。
 
 
大変だよね。
 
 
 
 
で、
 
 
 
そもそも論なんだけれど、
なんで人はネガティブなことの方に
目が行っちゃうのか?っていうのは、理由がある。
 
 
 
それは、ネガティブな人の方が
自然界の中では生き残りやすかったからに
他ならない。
 
 
 
だって、
 
 
草かげがガサガサってゆれた時に、
 
単にポジティブに
 
「きっと大丈夫!私はラッキーだから!」
 
なんて思うのと、
 
 
 
ネガティブに、
 
「なんだろう?猛獣かもしれない」
 
と警戒するのだったら、
 
どっちが自然界で生き残っていたのかは明白だ。
 
 
 
「ネガティブに考えること」
 
「以前経験した痛みを覚えていること」
 
という遺伝子をもった個体が、種を残してきて、
その末裔が私たちなんだから、
もはやネガティブさはしょうがない、とも言える。
 
ネガティブな自分を嘆くんじゃなくて、
そんな自分と共に生きて行った方がいいみたいだね。
 
 
 
 
それに、
 
何の考えもなしに、ポジティブになるのは危険だ。
 
 
ものごとの明るい部分だけ見ていきたい、
という気持ちは、わからなくもないけれど、
それって、つまり視野が狭いってこととも言える。
 
 
 
ものごとには、表もあれば裏もある。
 
自分の中にある「心の警報装置」のサイレンを無視して、
はじめから、
 
「裏は無い」
「ネガティブなものは、ないものにする」
 
なんて思っていたら、いつかは
 
 
「信じる者はすくわれる。足元を」
 
 
ということにもなりかねない。
 
 
 
自分の心のサイレンを無視して
ポジティブばかりに誘導するのも間違っている。
 
 
 
かといって、猛獣におそわれたりする
自然界とは違う世界に生き、
 
過去や現在だけなく、未来に対しても
「イメージ」という最高の武器をもっている
人間と言う生き物は、ネガティブだけでもしょうがない。
 
 
 
 
 
 
だから、
 
 
個人的に最もバランスがいいだろうなぁ、
と思う立ち位置は、
 
 
ポジティブな面も見て、
 
ネガティブな面にも目を向ける。
 
表も裏も、フラットに把握する。
 
 
その上で、ほんのちょっと前向きな方面を
見ておく。
 
 
くらいだと思うんだよね。
 
 
 
 
感覚的な話になるけれど、
 
ものごとを「1日」と例えた時に
 
 
「それには朝しかない」
 
と、明るい面だけを肯定するのはばかげている。
 
 
逆に、
 
「それは夜しかない」
 
と、暗い面だけしか見ないのも、バランスが悪い。
 
 
 
「朝もあるし、夜もある。
 その中間には、昼も夕方もある」
 
と、全体を把握して、なおかつ
 
「夜も、真っ暗闇ってことじゃなくて、
 月も光り、星がまたたく明るさがあるさ」
 
 
くらいが、ほどよいポジティブ加減
なんじゃないかなぁ
と思うんだけれど、どう思う?
 
 
 
 
たぶん、ポジティブな面ばかりに目を向けさせて
熱く盛り上げていくタイプの方が
記事的にも、キャラクターとしてもいいのかもしれない。
 
 
 
でも、私が本当に考えている事しか書けないし、
たとえ無理して書いたとしても、
途中で挫折するのは目に見えている。
 
 
 
だからまぁ、一人くらい
 
「ポジティブなのかネガティブなのかわからない」
 
っていう人も、あなたのまわりにいてもいいでしょう(笑)
 
 
 
ポジティブな記事を読みたい時は、
他の人の記事を読んでもらって、
 
 
なんだかよくわからない日常に
私の記事を読んでもらえれば光栄ですわ。
 
 
ではでは。
 

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