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年を忘れるという考え方

 
クリスマスも終わって、
忘年会シーズン真っ只中に突入だね。
 
この「忘年」「年忘れ」っていう考え方、
いかにも日本人らしくて素敵だなぁ、
と思うんだけれど、あなたはどう思うだろう?
 
 
 
今年あった苦労や、悲しいこと、
傷ついたことや、つらかったこと。
 
そんな全てのことを忘れて、
おごそかに新しい年を迎える。
 
 
そこには、
 
「望ましくないことも起きたよね」
 
ということが大前提にあって、
 
「でも、そんなこと忘れちゃおうね」
 
「そして、新しい年を迎えようね」
 
という、いい意味でドライじゃない、
ウェットな日本人のやさしさを感じるんだよね。
 
 
 
 
そして、たぶん、
 
 
この「年忘れ」には、真反対の意味も
含まれているんじゃないかな?
 
なんてことも考える。
 
 
 
つまり、
 
今年あった素晴らしいこと。
 
仕事であげた成果や実績。
 
より深くなった人との信頼関係。
 
そんなポジティブなことも、
一度忘れて、新しい年を迎えてみようよ、
 
という、先人たちの知恵も
あるような気がしてならないんだよね。
 
 
 
もちろん、楽しいことや素晴らしいことが
あったこと自体は、忘れることは必要ないし、
忘れることはできないだろう。
 
 
また、仕事での成果や実績、
人との信頼関係も、
一人一人が頑張って手に入れてきたものだ。
 
だから、それら全てを忘れる必要は
ないのかもしれない。
 
 
 
 
ただ、
 
積み上げた成功体験は、
いつの間にか挑戦を忘れる毒にもなる。
 
過去にあげた仕事での成果や実績は
慢心や怠惰を生む可能性もある。
 
人との信頼関係においても、
ついその人の扱いが雑になったり、
昔の見方だけで相手を見ることにもなりかねない。
 
 
そうなると、何のために過去を覚えていたのか
わからなくなってしまうよね。
 
 
 
 
なので、
 
ポジティブなことの輝きは
輝きとして覚えておくとして、
 
過去からの延長ではなく、
また新しい道を見出すために、
年の終わりには、一度全てを「忘れる」。
 
そんな考え方をするのは、
とても美しいことだと思うんだよね。
 
 
 
 
 
新しいことを知り、実践し、成果を出し、
そしてそれをきれいさっぱり忘れる。
 
そんなところに、日本人的な美徳を
感じるのは、私だけだろうか?
 
 
 
人の心は移ろいやすいし、
諸行無常、盛者必衰なんて言葉を使わなくても
明日にはどうなっているかなんてわからない。
 
 
自分が今年歩いてきた道は道として
誇りを持ち、来年はまた新しい道を歩く。
 
 
結果として、以前からの道の延長に
なることも多いかもしれない。
 
 
でも、年の終わりに
良いことも悪いこともきれいに水に流し、
忘れてしまう時間を作る。
 
 
そんな感性を、一方では持っていたい。
なんて思ったりするんだよね。
 
 
 
と、言いつつ、いざ忘年会が始まってしまうと
そんな高尚なこととはまるで関係なく
ただの酔っ払いになってしまうのだけれど(笑)
 
 
 
お互い、いい年末を過ごしていきたいよね。
 
ではでは。
 

 

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