いや、偏見に満ちているかもしれんけど。
おかげさまで、今までたくさんの分野の
プロフェッショナルに触れさせて
いただいているんだけれど、
「この人、マジでプロやわ!!」
っていう人は絶対にやらず、
「あれ?中途半端?」
っていう人はけっこう
やりがちなことがある、ように思う。
あ!ちなみに誰か特定の人をディスるつもりは
一切ないからな!
一般的な傾向の話だからな!
と、いうわけで。
マジもんのプロがやらず、
パチもんのプロがやること。
それが「貢献」。
どういうことか?というと、
頼まれてもいないのに、
無償で自分の持っている「技」を披露したり、
できていない人に対して、
本人の許可なくアドバイスしたり指摘したりする。
そんな、おせっか、、、、「貢献」。
たとえば、
身体の施術(マッサージとかヒーリングとか)を
相手が望んでないのに無償でやったり、
スピリチュアル的に「見える」人が、
誰も知りたがってないのに「あそこにいる」と言ったり、
自分とは違う意見の記事を見つけてきては
「これは○○が未熟だから起こる問題」とか評論したり、
絵を描いている人、写真を撮ってる人、
歌っている人、踊っている人、料理作っている人、
気ままに好きにやっている人に、横からアドバイスしたり、
もっとこうすれば、良い文章になるよ!とか言い出したり ←自爆
いやまぁ、たまにそういう流れになっちゃったり、
なんとなく今日はやりたくなっちゃった、とかならいいんだけど。
その「貢献」を、けっこうな頻度で発生させている人に
プロフェッショナリズムを感じることは少ない。
だって、
プロはそれでお金をもらっているので、
望んでない人に技術や能力を披露するほどヒマじゃないし、
その技術や能力の発動には責任を伴うことも知っている。
あと、シンプルに
プロならば、どんな未熟な人であったとしても
「あ、同じ道を歩んでくれていてうれしい」
ってなるので、相手が楽しんでいたり、がんばっている時に
自分のアドバイスで水を差したりしない。
プロとしての自負があるので、
「もっとこうしたらいいのになー」とか
「これをしてあげたら楽になるなー」と思ったとしても、
思うだけにとどめておくことが多い。
自分にも他人にも認められているので、
「認めて!」ってアピールしないでもいいわけだ。
貢献という名の自己承認欲求なんて
求めなくていいんだもの(ひでぇなワタクシ)。
さてさて。
いや、いいんだよ。
それぞれの考え方があるし、
その人との関係性もあるだろうから。
自分の持っている技術や能力を
あますところなく披露しても良いと思う。
ただ、その動機が「私を認めて!」だと、
あんまりプロフェッショナリズムは感じなくね?
という話。
、、、、とまぁ、そんな些細なことを気にしている
ワタシ自身が、一番の「認めてちゃん」なのは
自覚しておきたいと思います。笑。
ではでは。