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産道は、二度通る。

先日、とある「人生の先輩」と
じっくりお話をさせていただく機会に恵まれた。
 
その方は社会的にも大きな影響力を持ちながら、
個人としてとてもチャーミングな魅力を持っている
女性の方だ。
 
 
間接的には、その方の考え方や
あり方に触れてはいたんだけれど、
直接お会いするのは初めてだった。
 
 
そして、実際に直接お会いして、
 
「なんて、ふところの深い方なんだろう!」
 
と、ガガーン!と衝撃を受けて帰ってきた。
 
 
決して威張らず、
 
相手(今回の場合は私)の意見にも
フラットな立場で耳を傾け、
 
「私もまだまだ」と、さらりと
自分も完璧でないことを明かす。
 
 
その方のあり方おかげで、
話をさせてもらった数時間が、
とっても貴重で豊かな時間になったんだよね。
 
 
 
そこで、
 
「本題とはあまり関係ないのですが、
 どうしたら、そのようなあり方を
 体得できるのでしょうか?」
 
と、ぶしつけながら聞いてみた。
 
 
すると、あっさりと、
 
「年齢もあるわね」
 
と言って(年齢と言ってしまうのもカッコいい!)
こんな話をしてくれた。
 
 
 
女性と言うのは、結婚をして子供を産むと、
ある程度の年齢までは、
 
「あの子のお母さん」
 
というアイデンティティが強くなるそうだ。
 
 
そして、自分の子供が「いい子」でいることを切に願い、
自分の身を削るように子育てをがんばる。
 
「いい子」を世に送り出すことが、
自分の最大の使命であり、
そこが損なわれると、えぐられるような深い痛みを覚える。
 
 
もちろん、最近は様々な女性のライフスタイルがあるため、
一概にはそう言えない人も多いかもしれない。
 
が、少なくともその方は、
それこそ命を賭して子育てを全うしたのだし、
そのおかげで社会で活躍する一人格が育ったわけだ。
 
本当に、ただただ頭が下がる事だと思う。
 
 
 
そして、自分の大切な命のエネルギーを
子供に注ぎ続け、いつか子供は母親から巣立つ。
 
さらに時を同じくして、女性は更年期を迎える。
 
 
子離れの精神的痛み。
 
自分のアイデンティティを
もう一度見直さざるを得ない状況。
 
そして、実質的な肉体の変化、痛み。
 
 
50代前後に、そのような大きな変化を余儀なくされる。
 
とても大変な変化だろうから、
普通の人は、その変化を否定的にとらえてしまうのは
無理もないことだろう。
 
 
しかし、その方は、この大きな変化を
 
「もう一度、産道を通ってくるような痛み」
 
と表現した。
 
 
 
初めてこの世に生まれてくるために通る「産道」。
 
母親も大変だが、赤ちゃんである自分自身も、
相当の辛さをともなう。
 
 
窮屈な道を通る肉体的な痛み。
 
これからどのような事が待っているか分からない
世界へと生まれ出でる不安。
 
 
でも、その産道を通らなければ
自分の新しい世界は広がることはない。
 
 
だから、痛みをともないながらも
直感と本能に従って、外の世界を目指す。
 
 
 
そんな経験を、その方は50代を迎えるにあたって
もう一度経験した、というのだ。
 
そして、そのおかげで今のあり方を体得したのかしら?
と、愉しげに笑顔を向ける。
 
 
 
言葉にすると簡単かもしれないけれど、
そのプロセスは想像を絶する大変さだと思う。
 
逃れられない肉体的な変化にさらされ、
それと同時に自分のアイデンティティを
見つめなおさなければならない。
 
現時点の私には、とてもやりおおせる自信がない。
 
 
 
考えてみると、女性は痛みをともなう事が
男性に比べてはるかに多い。
 
 
月に一度のお客様もあるし、
出産を経験する女性も多い。
 
更年期障害という、女性特有の痛みにも悩まされるし、
社会的な目も、男性よりも厳しい。
 
(今回お話させてもらった方は、
 「だから女性は強いのよ」と、
 また笑顔で話してくれたんだけれど)
 
 
男性も、もちろん痛みやストレスは多いだろうけれど、
あらためて
 
「ああ、女性って大変だなぁ」
 
なんて思い直したんだよね。
 
 
 
そして。
 
そのような痛みを否定的にとらえるのではなく、
 
「もう一度産道を通って、生まれ直しするのよ」
 
と意味付けし、
 
「私は、50代前を“前世”。
 そして今を“今世”と言っているの」
 
と、楽しげに語るその人に、
 
「加齢の愉悦」
 
を見させてもらった気がするんだよね。
 
 
「そうか、今まだ見えていない世界を、
 もう一度産道を通ることによって、
 見られるかもしれないんだ」
 
「そのためには、
 まだまだたくさんの経験をしつつ、
 年齢を重ねる必要があるんだ」
 
 
と、年齢を重ねることにワクワクできる自分に
出会う事ができた。
 
 
 
部分即全体で、
その方は、きっと様々な出来事がありつつも、
反応的、否定的に考えるのではなく、
 
「真の意味の自己肯定感」
 
「本当のポジティブ」
 
を生きてきているんだろうなぁ、
なんて思う次第。
 
 
これからも、色々と教えてもらいたいと
心から願っております。
 
 
 
「と、さて。
 女性は50代前後に、
 もう一度産道を通れる人がいるのはわかった。
 
 で、一方の男性は、どうなんだろう?」
 
 
そんな風に考えてみた。
 
 
男性は、たぶん
 
「社会的に価値のある自分」
 
というアイデンティティを
見直さざるを得ない時期。
 
それが、もう一度産道を通るタイミングなのかもしれない。
 
 
加齢による肉体変化はあるものの、
女性に比べれば、肉体的苦痛は少ない。
 
 
そんな有利(?)な立ち位置にいるわけだから、
なおさらじっくりと考えないと、
 
「新しい今世」
 
を迎えることは出来ないのかもしれないね。
 
 
社会的に、今までやってきた仕事を手放す時、
やっと
 
「本来の私の役割、使命とはなんなのか?」
 
「これからの人生、私と言う人間は何者なのか?」
 
ということに向き合える。
 
 
そう考えると、
 
「まだまだ私なんて、ホント未熟者だなぁ」
 
と恥ずかしくなる一方で、
 
「そうか、年を取るって、けっこう素敵だな」
 
なんてことにもワクワクできる。 
 
 
 
人とのご縁で、人生は変わる。
 
それをあらためて体感、実感できた出会いでした。
 
 
Yさん、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
ではでは。
 

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