今回のは、完全にワタシ自身のとらえ方の話。
なので異論は認めるし、反論はヨソでやってくれ。
さて。
今まで、ザックリとしたとらえ方で、
「信用は、その人の一部を信じていて、
信頼は、その人の長所も短所も知りつつ
まるごと信じている」
みたいな感じだった(だから個人的とらえ方だってば)。
他にも、
「信用は、信じて用いること」
だから、なんとなく相手へのジャッジが入る。
「信用できるから、これだけ貸そうか」的な。
対して、
「信頼は、信じて頼ること」
だから、なんとなく相手への願いが入る。
「信頼している、力を貸してくれ」的な。
もちろん、そのとらえ方自体も放棄していないんだけれど、
今までは、なんとなーく、個人的には
「信頼は信用の上位互換」
「信用よりも、信頼の方が尊い」
みたいにとらえていた。
みんなは、どんな感じ?
その上で。
ちょい考えてみると、
そういうことだけでもないかもしれんな、
なんても思うようになってきたのよ。
「信頼しているけれど、信用はしていない」
なんてことも、まぁまぁある。
例を出してみると、まずワタシ自身。
ワタシは、ワタシのことを信頼している。
誰が何と言おうが、信じて頼っている。
だが、ワタシはワタシのことを
全面的に信用しているか?というと、そんなことはない。
時間を守ることは、まぁまぁ信用している。
約束も、まぁまぁ守る。
大事な書類とかを捨てない、とかも信用している。
しかし、
地図を見て目的地に着けるか?というのは全然信用ならない。
人の顔と名前が一致するか?というと、本当に信用できない。
女性に弱いとかになると、もう信用ゼロじゃね?となる。
なので、
「信頼>信用」
「信頼していれば、イコールすべて信用できる」
というのは、ちょっと違ったらしい、ということに気づいた。
(あくまで自分の中で)
ということで。
先ほど書いたような意味も否定しないままで、
個人的には、
「信用は、その人の過去の経緯で信じるところを決める」
で、
「信頼は、その人の未来を信じる」
という とらえ方を増やすことにしやんした。
実績、データ、定量的、客観的に見て信じられるか?が信用。
人柄、視点、定性的、主観的に見て信じられるか?が信頼。
もちろん、過去と未来はつながっているから、
そんな簡単にはいかないとは思う。
ただ、なんとなく「信用よりも信頼の方が強い」
みたいな考えが、
自分の中で書き替えられたなぁ、という話。
人として、どちらも大切にしていければいいと思いますわ。
大したオチはないのだが、
ワタシには地図を持たせない方がいいよ、
とだけは伝えておきたい。
ではでは。