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やめたい事の やめ方。

「ついつい、やってしまう」
 
「こんなこと、やらない方がいいのに。。。」
 
 
ってこと、誰にでもあるんじゃないかな?
 
 
それは、タバコとかお酒とかかもしれないし、
 
ネットサーフィンかもしれないし、
 
なんとなく心配ごとを考えたり、かもしれない。
 
 
いずれにしても、
 
「やめたい(減らしたい)のに、
 ついついやってしまう」
 
ってのを、どうすればいいのか?
 
 
今回は、そのノウハウをお伝えしたいと思う。
 
 
 
 
さて。
 
 
やめたいことをやめるためには、
おおまかに3つのステップがある。
 
 
それは、
 
 
1.本当にやめるのかを決める。
 
2.環境を変える。
 
3.代替を与える。
 
 
というもの。
 
 
一つ一つ説明していくね。
 
 
 
 
まずは、
 
 
【 1.本当にやめるのかを決める。】
 
 
ってことだけれど、
 
 
「そんなん、当たり前やん!」
 
 
と思わずに、真剣に考えないと
たぶん、リバウンドする。
 
 
基本的に、ついついやってしまうことは
当人に何らかのメリットをもたらしている。
 
 
 
だいたいは、
 
 
「感情的には、本当はやめたくない」
 
「でも、さまざまなデメリットがあるのを
 頭では分かっている」
 
 
っていう戦いなんだけど、
アタマと感情が戦った場合、
なんの援護もなければ、100%感情が勝つ。
 
 
なので、まずはあなたのハートちゃんに
 
「私は、これをやめる!」
 
と、決別宣言をしてからじゃないと
何もうまく行かない。
 
 
「本当にやめたい?」
 
「やめる気、ある?」
 
「そのために、行動できる?」
 
 
という自問にYESを下すという
いわば「儀式」が必要になってくる、というわけ。
 
 
 
 
次に、
 
 
【 2.環境を変える。】
 
 
ってことだけれど、決意を新たにしただけで
やめられるのなら、ワタシのこんな文章読まんでも
できていると思う。笑。
 
 
「人間が変わる方法は三つしかない。
 ひとつめは時間配分を変えること、
 二つめは住む場所を変えること、
 三つめはつきあう人を変えることだ。
 最も無意味なのが〝決意を新たにすること〟である。
 決意だけでは何も変わらない」
 
 
という大前研一氏の話は有名だから
聞いたことがあるかもしれないけど、ホント、そう。
 
 
 
何かを物理的に変えない限り、人は変わらない。
 
意志が強そうに見える人は、
その意思を支えるだけの環境を用意しているからに過ぎない。
 
 
メンタルは筋力なので強化することはできるけれど、
「ついついやってしまうこと」に関しては、
その引力に逆らえる筋力がついてないから、やっちゃうわけだからね。
 
 
メンタル強い人でも、ある特定のことやモノや人に関しては
その引力に負けてしまうこともあるだろう。
 
だから、環境を変えることは、どんな人にとっても
極めて重要なのだ。
 
 
 
ってなわけで。
 
 
とにかく、考えられる限り、可能な限り
やめたい対象との関係を断ってゆく。
 
 
お酒やタバコなら、買わない。ストックしない。
 
 
ネットサーフィンなら、回線ひきちぎる。(←おい)
 
 
心配ごとなら、寝てしまえ(←おいおい)
 
 
 
対象が何であったとしても
完全に隔離することは難しいかもしれない。
 
 
ただ、できるかぎり接触するのを「面倒くさく」する。
 
 
今までワンアクションで接触できていた状態を、
ツーアクション、スリーアクションを経ないと
接触できないようにするわけだ。
 
 
ネットサーフィンを具体例に出すのならば
 
 
・回線を遮断する
 
・見てしまうサイトの「お気に入り」を削除
 
・てか、ブラウザをアンインストール
 
・パソコンやスマホ自体をシャットダウン
 
・パソコンやスマホを金庫にしまう
 
・友達に預けちゃう
 
・友達に閲覧履歴を送るルールにしておく
 
 
など、とにかく面倒にしてゆく。
 
 
それで環境を整えてゆく、というわけだ。
 
 
 
さっき
 
「頭と感情が戦ったら、
 なんの援護もなければ感情が勝つ」
 
と書いたけれど、この環境整備が
あなたが理性で考えた決意を援護してくれる、ってわけ。
 
 
 
 
 
 
そして3つ目。
 
 
【 3.代替を与える。】
 
 
ということ。
 
 
 
基本的に時間や空間は真空を嫌う。
 
 
何もない時間には、何かしらが入り込んでくるし、
 
何もない空間には、何かモノが入り込んで来ようと
虎視眈々と狙っている。
 
 
なので、そこには知恵が必要となってくるわけだ。
 
 
 
何かをやめた、ということは、
今まで「それ」をやっていた時間
(や、それが埋めていた空間)があるはず。
 
 
それを、これからは有意義なことに。。。
 
 
ってすぐ考えると、たぶん挫折する。
 
 
 
なぜなら、今までやっていた「それ」によって
あなたは何らかのメリットを享受していたのだから、
その欲求を無視したまま何かやっても無理。
 
 
いつか感情と欲求の連合軍に反撃にあう。
 
 
 
なので、まずは
 
「ついついやってしまうことで
 私が満たしていた欲求はなんだろう?」
 
と、振り返ってみる。
 
 
 
「ええ!?私は自分の心配ごとで、
 なにも満たしてなんかいませんよ?」
 
 
 
いやいや、ダウト。
 
 
 
絶対、何か満たしている。
 
 
それは、不安になることでの感情変化だったり、
心配の対象に対する一体感だったり、
自己存在証明だったり、
 
 
何かは人によってそれぞれだけれど、
絶対に何かある。
 
 
なので、その欲求の正体をみつけ、
その欲求を満たすような「代替」を生活に取り入れることで
やっと、やめられるようになる。
 
 
 
 
時間と空間は真空を嫌う。
 
なにかで埋めるのを虎視眈々と狙っている。
 
 
  
 
欲求と感情は抑圧や無視を嫌う。
 
解放、承認されることを虎視眈々と狙っている。
 
  
 
 
なので、 
 
欲求と感情と敵対するのではなく、
「別の何か」を与えることによって満足させ、
その「別の何か」で時間と空間を埋めるのだ。
 
 
 
それを、すこしずつ、あなたが「OK」と思える行動に
シフトさせていけばいいと思う。
 
 
 
 
 
 
最後に。
 
 
いつも書いていることだけれど、
 
「人は、どう生きてもいい」
 
と、ワタシ個人的には思っている。
 
 
 
ビジネスで大成功するのも、
 
みんなから大人気になるのも、
 
ひとりで引きこもってゲームをやり続けるのも、
 
心配ごとの妄想で押しつぶされながら生きるのも、
 
 
 
俯瞰すれば、同価値だと思っている。
 
 
 
自分が生きたいように生きればいい。
  
 
なにかを出来ない自分を罰しないでいいし、
 
なにかをついやってしまう自分に罪悪感を持つ必要はない。
 
 
 
 
 
上記のことを全部試したのに
 
 
「またやってしまった。。。」
 
 
でも、いいじゃない?
 
 
 
 
その上で。
 
 
少しでも、自分が理想としている自分に進むのは
素晴らしいことだと思う。
 
 
今まで3時間やっちゃってたことが
2時間50分に減らせたのなら、
あなたにとっての成長だ。
 
 
今まで毎日やってしまっていたことが
週に6日になれば、それは
あなたにとって望ましい成長だ。
 
 
 
あなたが、あなたに誇りを持ち、
毎日に感謝できるような日々が送れますように。
 
 
 
ではでは。

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