スポンサーリンク

自分のイタさに気がつく方法。

 
自分のイタさに気がつく方法。
 
 
たぶん、あなたの様々な人間関係の中には
 
「この人、本当に素敵だな」
 
「こんな風になれたらいいな」
 
と思う人もたくさんいるだろう。
 
 
でも、中には
 
「うわ、ちょっとあの人、イタいな」
 
「ああいう風には、なりたくないね」
 
みたいに思ってしまう人もいるかもしれない。
 
 
 
イタさ。
 
 
当人は普通に接しているつもりなのに、
なぜか他の人からはドン引きされちゃう。
 
それも、
 
 
「あれ?
 私、いつの間にか引かれちゃってる?」
 
 
と気がつけばまだいい方で、
本人が気がつかないうちにドンドン人が離れて行って、
いつの間にか「あの人は、抜き」で集まることが
暗黙の了解になってしまっている。
 
そんな風になると、
ああ、イタさここに極まれり。だよね?
 
 
 
そして。
 
イタい人を避けて通ってゆくのは
気持ちよく過ごしたいんだから
やむを得ない部分もあると思うけれど、
 
 
「もしかしたら、いつのまにか
 自分がイタい人になっているんじゃないか?」
 
 
と、自分を振り返ってみると、
けっこう夜も眠れなくなったりする。
 
 
 
まぁ、
 
「私は人の顔色なんて伺わずに、
 一人で生きて行くわ!」
 
「少しも(人間的に)サムくないわ!」
 
と言って、雪山で歌いながら
氷の城とかに立てこもるのも、その人の自由だ。
 
 
 
でも、
 
「本当は、仲良しの人とは、良い関係を保っていたいな」
 
「もちろん自分を抑え過ぎるのはイヤだけれど、
 できれば、みんなから白い目で見られたくはないな」
 
と思っているのが本音だったりもするよね?
 
 
 
そんな「自分のイタさ」に気が付けるか気が付けないかは
ほんのささいなポイントだったりもすると思う。
 
なので今回は、
 
「こうやっていれば、
 まわりからメッチャ浮いちゃうことは
 少ないんじゃないかな?」
 
「むしろこういう風になれば
 どんどん良い関係を築いていけるよね」
 
という
「イタさ回避」「ウマさアップ」のポイントを
シェアしたいと思う。
 
 
まぁ、この時点で
 
「イグゼロよ。お前は浮きまくっておるやないの?」
 
と言われると、もはやグゥの音も出ないんだけれど。
 
我ながら、今回のテーマはリスクが大きすぎると
ビンビン肌で感じているから、あたたかく見守ってほしい(笑)
 
 
 
 
さてさて。
 
 
「イタい」っていうのは、別の表現で言うならば、
その場での「違和感」だと思うんだよね。
 
 
たとえば、
 
「いや、この場では普通こう振る舞うだろう?」
 
とか、
 
「この流れから来たら、こうなるよね?」
 
みたいな調和を乱す「違和感」。
 
 
この「違和感」がある人が、基本的には「イタい人」に
なると思う。
 
 
たとえば、
 
その場にいる人のお祝いをしているのに、
急に自分の悩み話を始めたり、
 
複雑な人間関係の悩みを話しているのに、
新型新幹線の性能について熱く語ったり、
 
通夜の席に純白のドレスで現れたり、
友人の結婚式会場にユニ○ロのジャージ姿で現れたり。
 
 
そういう「違和感」が、「イタさ」に直結していると
思うんだけれど、どうだろう?
 
 
 
ただ、
 
「普通こうだよね?」という予定調和を
わざと崩して、場に「違和感」をポンと放り込んで、
爆笑させたり、深く考えさせたり出来る人もいる。
 
そういう「ウマい人」っていうのもいる。
 
 
じゃあ、「イタい人」と「ウマい人」の差は、
一体どこにあるのか?
 
なんで、同じように「違和感」を感じさせているのに
一方の人はではドン引きされ、
一方の人はみんなに「心の拍手喝さい」を浴びる事が出来るのか?
 
 
 
それは、もう完全に一つのポイントだと思うんだよね。
 
 
その一つのポイントとは、
 
 
「自分を俯瞰できているかどうか?」
 
 
というポイント。
 
 
 
つまり。
 
自分が今いる場に、きちんと参加していながらも、
もう一方で、自分を客観的に見ていられるかどうか?
 
だと思う。
 
 
ひとつ断っておくと、
 
「今いる場に、きちんと参加していながら」
 
というのが、とっても大事。
 
 
心ここにあらずで、客観的に見ているだけだと、
それはそれで
 
「ナニ?あの人?」
 
「クールな評論家きどり!?」
 
「なんなの?妖怪なの?ヒキコーモリなの?」
 
となって、それまた面白くない。
(なにより、本人がツマランだろう)
 
 
 
「主観的に、積極的に場に参加している」
 
と同時に、
 
「客観的に、場を俯瞰している」。
 
 
これが出来ている人であればあるほど、
「イタい人」になるのを避ける事ができ、
「ウマい人」へと昇華していくような気がするけれど
どうでしょう?
 
 
 
自分が注目されたい!とか、
特別な存在でいたい!とか、
 
あるいは逆に、
 
飾らない自分でありたい!とか、
素の自分を愛してほしい!とか、
 
 
そういう「自分フォーカス」の視点だけを持っていると
どんどん「イタい」方へ目盛りが進んでゆく。
 
 
「自分フォーカス」も当然持っていながら、
「相手フォーカス」「その場全体フォーカス」を持っていると、
 
 
「あ、この場では、相手を立てると気持ちいいな」
 
「ここでは黙っていよう」
 
「ここは私がバン!と前面に出た方が
 みんながハッピーになれるわ」
 
 
というのが見えてくるんじゃないかな?
と思う次第。
 
(うう、今回、書いてて
 グサグサ自分にダメージが。。。)
 
 
 
さらに言うと、
 
 
基本的には、いつも自分がいる場所というのは、
 
「自分と同系色の人」
 
が集まっている傾向があるので、そんなに大きくは
「イタい」人には、なりにくい。
 
 
ディスコで踊っている
ボディコン姐ちゃん(古っ!)のグループでは
その中での暗黙のルールがあり、
 
天とつながって小鳥や木々とお話できる人たちの
グループには、また別の暗黙のルールがある。
 
成長を続けるのが善!というグループには
そのグループの善があるし、
 
人の悪口を言い合うグループには、
そのグループ内の「場の空気」がある。
 
永田町には永田町の暗黙のルールがあり、
日本には日本の暗黙のルールがあり、
また別の世界に行けば、そこの「場」がある。
 
 
自分が普段「所属」しているグループにいる時は
そこまで「俯瞰力」を発揮しなくても大丈夫なんだろうけれど、
 
いつもとは違う「場」に行った時は、
意識して自分を俯瞰してみるのも、いいかもしれない。
 
 
「いつものルールは、コレコレだけれど、
 違う世界ではどうなんだろう?」
 
「場全体を見ると、何が見えて来るんだろう?」
 
 
そんな風に思うと、「イタさ」は回避できる可能性が高いよね。
 
 
 
 
さてさて。

 
まぁ、人の目を気にし過ぎて、
どこでも「いい子ちゃん」でいる必要なんてないと思う。
 
そんなことを私が言いだしたら、
私自身が、今すぐ心を入れ替えなきゃいけなくなる(笑)

 
 
ただ、
 
「主観的な自分」と「客観的な自分」を同時に存在させて
俯瞰力を磨いていくのは、他の事にも大いに役に立つ。
 
 
恋愛がうまくいくためには、
大きな自己愛と、相手やまわりに対する配慮が必要だし、
 
ビジネスを成功させるためには、
絶対うまくいく!という妄想力と、
時流を見極めるクールな判断が必要だ。
 
 
 
「のめりこみつつも、場全体を俯瞰している」
 
という能力を、これからも磨いていきたいものです。
 
 
ふぅ~。
今回のテーマは、完全に自戒をこめて、だな。
 
 
ではでは。
 
 
 
 

 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク