もうずいぶん昔の話になるんだけれど、
ある業界で、ものすごく影響力のある人がいたのね。
その人のひと声で、もう本当に大勢の人が集まったりしたし、
その人と一緒に講演会などをやると
一気にメジャーになるような感じだった。
その人は今、どうしているかって?
大変申し訳ないんだけれど、私は知らない。
私以外でも、その人の動向を知っている人は、
とても少ないんじゃないかな?
まぁ、もともと私は
その人の近くにいたわけじゃないからね。
その人が素晴らしい影響力を持っていたのにもかかわらず、
なぜ今はあまり名前を聞かなくなってしまったのか?
いろんな原因があったのかもしれないし、
本人が表に出ないように決めたのかもしれない。
真相は、分かるわけもない。
ただ、当時その人の周りに直接いた人から
いろいろ聞いていた話から
「まぁ、もし衰退していったのだとしたら
原因のひとつは間違いなくコレだろう」
ということは推測できる。
それは、
「後に続く者を軽んじている」
という、人格的問題。
影響力のある人間として
「この人は素晴らしい。
みんなにこの人の素晴らしさを伝えるために、
私ができることをしよう」
と、影に日向にサポートをすることは
素晴らしい事だと思う。
そして、サポートをしてもらった側として
その恩を大切に思っていることも素敵だ。
ただ。
「私があいつを引き上げてやった」
とか、
「あいつがここまで来たのは、私のおかげだ」
と傲慢に考えるのは、マズいと思う。
何がマズいかって、その考えは、
影響力のある、先を歩いている本人そのものの首を
じわじわしめてゆく考えだからだ。
基本的に、人に提供できるのは「きっかけ」だけで、
本質的変化は、本人の努力以外の何ものでもない。
どんなに影響力のある人物が
「これは!」と思った人に何でもしたいと思っても、
「きっかけ」以上のものを提供することはできない。
「火種」は本人からしか生まれる事はなく、
周りにいる人は、その時にふさわしい「薪」を
提供できるかできないか?
それくらいなのだ。
それを、
「あいつは、私が育てた」
みたいに思って、ぞんざいに扱っていると
どんどんと本人が衰退してゆく。
もちろん、サポートしてもらった側が
「私は、あの人に育てられました」
と感謝しているのは、素晴らしいと思うけどね。
そもそも、人はたった一人の師匠の存在だけで
全部の変化を成し遂げる人はいない。
師匠の影響力は大きいし、
その存在のある、なしで、
それこそ人生が全然違うのは間違いないけれど、
だからといって、
「イチからヒャクまで、
ぜぇ~~んぶ、私が引きあげたったわ☆」
なんてことは、あるはずがない。
人は成長する。本人の努力で。
出会った時にはヒヨッコだったり、
影響力がそれほどじゃなかったりしたかもしれないけど、
今はプロフェッショナルとして活躍している人がいたとしたら
「ああ、キミキミ。
キミは私が育てたんだから、
チョチョッと、キミの技術を提供してよ」
「あ?できないって?あっそう。」
なんて、軽々しく接してはいけない。
今、プロフェッショナルになっているのだとしたら
いくら後輩だからといっても、プロにお願いする敬意を持つ。
そんな当たり前のことすらできないと、
どうやら確実に衰退していくみたいだね。
また、私の先生の言葉で、
「これからあなたが迎える試練の中で
最大の試練のひとつは、
弟子があなたを超えてゆく時に
あなたが、どうあるか?だ」
というものがある。
弟子。
まぁ直接何かを教えた弟子じゃなくてもいいんだけれど、
自分より年齢が若かったり、経験が浅かったりした人に
自分がいろいろとサポートをする。
そういった人が、メキメキと頭角を現し、
自分の知らない世界へと飛び立ってゆく。
その時に「どうあるか?」は、
人生における最大の試練のひとつということなのだ。
話がちょっと逸れるけれど。
いわゆる
「守・破・離」
と言われている、
「まずは教えを守る。
そのあと、その教えを破って行き、
教えから離れる」
というのが、ものごとを体得してゆく時に
必要な心構えであり、道順だ。
しかし、当たり前の話だけれど、
それは「学ぶ側」からの視点であって、
もうひとつ「教える側」の視点もあるわけだ。
それは、
「まずは自分のできることを教えて、守ってもらう。
そのあと、相手が教えを破ることを受け入れ、
相手が自分を忘れ、離れてゆく事を受け入れる」
というもの。
誰かに影響力のある者になった以上、
その「試練」は、必ずついて回る。
自分がサポートしていた相手が
「破」や「離」のステージに立った時、
内心の葛藤はともかくとして、
喜んで相手の変化を受け入れ、送りだす。
それを、
「あなたは、私の言っている事を守りなさい!」
「キーッ!私から離れるなら
いっそ邪魔してやる!」
みたいな「あり方」を選ぶと、
サポートした相手だけでなく、見ている他の人の心も離れてゆく。
影響力のある人間としては、非常につらい試練なのだろうけれど、
いつかは必ず訪れるものだものね。
自分が衰退しないためにも、
その試練を乗り越えて、素晴らしい「あり方」を
体得してゆくべきなのだろう。
(まぁ、どんな生き方を選んでも
本人が幸せなら、なんでもいいんだけれどね)
さてさて。
人が確実に衰退していける地獄の一本道。
それは、
「後に続く者を軽んじること」。
サポートする相手の可能性は、いつだって自分より大きい。
サポートする相手が将来見る世界は、
いつだって自分が見たことのない大きな世界だ。
だから、サポートする。
誰かに影響力を持つのだったら、
それが師匠というかかわり方でも、
友人というかかわり方でも、
親というかかわり方でも、
忘れないでいたいものだよね。
うおお!こんなカッコいいこと書いていながら
私の「あり方」は、試練に悶絶してばかりです(笑)
ではでは。