よく、ゆるふわ系自己啓発で、
「あなたのままで、いいんだよ」
「がんばらなくて、いいんだよ」
みたいなメッセージがあるよね?
個人的には、
人はどんな風に生きてもいいと思っているし、
そんなメッセージが必要な時もあるだろう。
ただ、これまた個人的には、どうもイマイチ
理解ができなくて、
「え?それじゃ、現状維持か下降線やん?」
とか、
「望む未来があるのなら、やることはやろうや」
みたいに思っていた。
が!
先日、「ああ!こういうことか!」と
腹に落とすことができたので、
それをシャア、、、もといシェアしたい。
さてさて。
分かった場所は、渋谷。
教えてくれたのは、道を歩いていた
いわゆるギャル。
( べ、別にナンパなんかしてないんだからねっ/// )
私が歩いている前を
ノタノタと歩く渋谷のお姉さん二人組。
その道はやや下り坂になっていて、
路面は少し歩きにくい石畳だった。
他に行き交う人もいて、
追い越そうにも、追い越しにくいという状況で
大きな声で話す二人の会話が聞こえてきた。
彼女たちは、足元をおぼつかせながら言う。
「あー、もー、こんな靴ぬいで
裸足で歩きたいわー」
「チョーウザい、この靴!!」
そう。
彼女らは二人ともハイヒールをはいていた。
歩きにくい道で、
慣れないハイヒールに苦戦をしていたために、
ノタノタだったのだ。
その時、私は心から思ったね。
「あなたのままで、いいんだよ」
「がんばらなくて、いいんだよ」
って。
慣れないハイヒールなんて、はかなくていい。
女子的にはファッションで
はきたいのだろうし、それも自由なんだけれど、
文句をブツブツ言ってまで、はかなくていい。
ハイヒールをはいていなくても、あなたはあなた。
足が長く見えなかろうが、身長が少し低く見えようが
あなたの価値は変わらない。
そんな風に、心の中だけでエールを送ったね私は。
ただ、
「歩かなくて、いいんだよ」
とは、思わなかった。
「誰かに、おんぶしてもらえばいいんだよ」
とも、思わなかった。
「疲れたら立ち止まってもいいけど、
やっぱり自分で歩こうね」
そんな風にしか、思わなかった。
そして。
そんなシーンを見てやっと、
ゆるふわ自己啓発系で言う
「がんばらなくていい」
の意味を、腹に落とすことができた。
まさか、しぶやのおねいさんに
教えてもらえるとは思ってもみなかった。
そう。
私たちは、実社会の上で、
「ハイヒール」をはいてしまうことがある。
その「ハイヒール」は、
他の人の期待に応えるためのがんばりだったり、
世間体だったり、
必要以上のリア充アピールだったり、
地位や名声だったり、
プライドだったり、そういう形をとる。
それをはいたり、纏ったりするのは自由。
その「ハイヒール」のおかげで、
自分がもっと、「自分の好きな自分」になれるのなら。
その「ハイヒール」を、うまく
はきこなすことができるのなら。
ただ、
それが窮屈に感じてしまったり、
自分の道を歩きにくくなってしまったりした時には、
無理にハイヒールに足を突っ込んだままじゃなくていい。
脱いでも、あなたがあなたでいることには変わらない。
もともとのあなたの価値は、
なにも下がらない。
むしろ、そのハイヒールにだけ魅せられていた人が
あなたから去ってゆくから、好都合だ。
が。
がが!!!
ここからが、ゆるふわ系じゃなくて恐縮なのだが、
「だからって、歩かなくていいわけじゃないよ?」
「歩くのはあんただよユー!」
と言いたい。
その人の歩く道は、本人が歩かなくてはいけない。
他の人が歩いたって、本人は、何も変わらない。
おんぶもねだっちゃダメ。大人なんだから。
もちろん、疲れたら休めばいいけれど、
回復したら、自分の道を、自分の足で歩く。
それが、あたりまえ体操。
さて。
もしかしたら、他の人がとらえる
「あなたのままで、いいんだよ」
「がんばらなくて、いいんだよ」
は、違うのかもしれない。
もっと、心からの赦し、みたいなものなのかもしれない。
なので今回のは、あくまで私が私を納得させる解釈。
あなたのままで、いいよ。
がんばらなくて、いいよ。
ただ、キリキリ歩け。立ち止まりながらでいいから。
自分がハイヒールをはいて
さっそうと歩きたいのなら、そうすればいい。
はきなれたスニーカーで
自分のペースで歩いてもいい。
そこには、本人の歩き方と美学があるんだから
どっちでもいい。
ただ、おんぶをねだるな。
本人の道は、本人しか歩けない。
そんなことに気づかせてくれた
しぶやのおねいさん、ありがとう!
そこらの講師よりも、
体をはって教えてくれたよ!
おねいさんのしあわせをいのるもうあわんけど。
ではでは!