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正しさは証明しないこと。

本日もまた
ワタシの勝手なスタンスの話だけど。
 
 
お仕事であっても、プライベートであっても
さまざまな価値観の人とお会いする。
 
その中には、崇高な理念を持っていたり、
現在、自分が所属している業界の悪習慣を
嘆いていたりする人もいらっしゃる。
 
そんな話を聞けるのは、本当にありがたいし、
どんな方向性であれ、理念を持っている人は好きだ。
 
 
ただ。
 
ワタシの中の境界線みたいのがあって、
そこを超えると「???」となることがある。
 
それは、
 
 
 
「私はこんな理念を持っている」←分かる
 
「こんな世の中になればいい」←分かる
 
「だから私はこうしている」←分かる
  
「この業界は、腐っている」←まぁ分かる
 
「あいつらは間違っている」←まぁ分からんでもない
 
「あいつら滅んでほしい」←まぁギリ
 
 
(´・ω・`)▲(´・ω・`) 境 界 線 (´・ω・`)▼(´・ω・`)
 
  
「あいつらをぶっ潰すためにがんばる」←???
 
「全員を私が教育しなおす」←???
 
「私が正しいことを証明してやる」←???
 
 
 
。。。そんな感じ。
 
この境界線、伝わるかな?
 
 
 
私としては、個人がどんな意見を持っていようが
それがどんなにぶっ飛んだものであろうが
 
「なるほどー」
 
「すてきやんよくわからないけど」
 
というスタンスだ。
 
 
「私は大天使の生まれ変わりです!」
と言われても
「いいなー、ワタシは俗人だから」と思うし、
 
 
「今の日本人は、ほとんどが騙されている!」
と言われたら
「そうなんですね!ワクワク!」と思う。
 
 
「この業界はおかしい!」
と言われたら
「それなのに業界にとどまってるって、我慢強いですね」
と敬意を払う。
 
 
 
ただ、
 
「だから私の正しさを証明するために
 他を否定し、排除し、敵対する」
 
となると、
 
「はい、ビッビー。あうとー!」
 
とホイッスルが心のグラウンドに鳴り響き、
イエローカードが高々とあげられてしまう。
 
 
 
ええやん。
 
違う考えの人がいても。
 
 
自分と違う考えの人がいて、
そのコミュニティがあったとしても、
 
そこで楽しくしている人がいるんだから、
それでええやん。
 
 
たまたま目につく
近くでやってるから気になるだけで、
価値観の違う人なんて、世界中にいる。
 
それを全部排除していったら
世界が狭くなりますやん。
 
と思っちゃうんだよね。
 
 
 
いやね。
 
ワタシも、個人的には
お客さまを騙くらかすようなビジネスは好きじゃないし、
そんなところに自分から騙されに行くような人を見ると
 
「えええ、、、やめときなよぉ~」
 
とは思う。
 
 
でも、そこで需要と供給がマッチしているのであれば
それでいいんじゃない?とも思う。
 
 
少なくとも、 
 
「そんな詐欺みたいなやつを
 業界から排除してやる!」
 
なんて気持ちも行動も起こさない。
 
 
自分と違う価値観でやっている。
ただそれだけ。
 
 
 
たとえるなら、
 
「お前が惚れている、あの男!
 あいつ絶対悪い奴だよ!」
 
「俺があいつをぶっ飛ばしてやる!」
 
なんて言っている前に
自分がイイ男になることに力を入れた方がいいんじゃね?
 
という感じだが、このたとえで
かえって伝わらなくなった気もしてきたけど、まぁいい。
 
 
 
。。。まぁ、個人的なスタンスの話なので
スルーしてくだされば幸いです。
 
 
そもそも、
 
「このスタンスが分からない奴は間違ってる!」
 
「全員がみんなの違いを認められる価値観を持つように
 私が矯正してやる!」
 
って、おいおいおい、、、、って話だからね。笑。
 
 
なので、
 
「私がこの業界の悪習慣をぶっつぶす!」
 
といった話を聞いて「???」と思っても、
 
「ま、ご自由に、しらんけど」
 
と思うだけだ。
冷たいっちゃー、冷たいねワタシ(笑)
 
 
 
さてさて。
 
 
「好き、嫌い」と「善、悪」は別。
 
自分がやっていることに正しさを見出して
自信を持つことは素敵だけれど、
それがイコール「反対側は悪」とはならないと思う。
 
「正しさ」は、相手に理解させる必要はなく、
証明する必要もない。
 
 
そんな風に思っております。
 
自戒を込めて。
 
 
ではでは。

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