今回もまた、先日会った
とんでもない若手経営者さんからヒントを得た話。
その人は、まだ30代であるにもかかわらず
数十の会社のボスとなっていて、その活動の幅も広い。
そして、ビジネスと経営のプロ中のプロであるにも関わらず
話す内容はビジネスやお金といった「俗」なものだけではなく、
「人の霊格とは?」
とか、
「あの世とは?」
とか、
「空(くう)とは?」」
といった、「聖」寄りの話もバンバンする。
というか、私と話している時は
そっち側の話ばっかりだ。
たぶん、高度なビジネスの話をしても、私が
分からないからなのかもしれないけれど(笑)
で、
そんな人だから、話をしていると
ついつい質問をいろいろしたくなっちゃうんだよね。
先日も一緒に呑んでいた時に、
以前から気になっていたことを質問してみた。
「いわゆる悟りって、私の中のイメージでは
いろんなものを、はぎとっていく感じで、
逆にビジネスは、いろんなものをくっつけてゆくイメージなんです。
その辺は、あなたの中では矛盾しないんですか?」
ってね。
すると、彼は穏やかにこう話してくれた。
「まず私は、現時点では悟りたいと思ってないので、
その辺の矛盾で苦しむことはありませんね。
この世で、しっかりと地に足をつけて
生きて行くと決めているので、
この世のルールで生きて行きたいと思っています」
まず、この時点で「なるほど」と思った。
この世で生きていくためには、
当たり前だけれど、この世のルールがある。
おそらく、そのルールにのっとった上で
自分を活かすことができる人が
この世では「成功」できるんだろうね。
しかし、彼の話はここで終わらない。
「そして、ビジネスとかお金といった現世のものは、
いつか、はぎとることが分かってます。
はぎとるということが分かっているから、
いくらでもくっつけられるんですよ」
。。。これ、別にお寺とかで話してるんじゃないからね。
普通に、飲食店で鍋をつつきながら
お酒呑んで話してるからね。
もう、まさに「不思議時空、発生!」だよね?(笑)
どうやら、彼の世界観ではそうらしい。
そして、その世界観に私も「なるほど!」と膝を打つ。
私たちには色んな余分なものがある。
でも、それを毛嫌いしても、どうしようもない。
いつか、はぎとることが分かっているものをくっつけることで
他の余分なものも一緒に取り去ることができるのかもしれない。
たとえとして分かりやすいか微妙だけれど、
ほら、箱にくっついちゃった値札シールとか、
ノリの痕とかってあるじゃない?
それって、無理矢理こそぎ落とそうとしても
汚れがひどくなるばかり。
そんな時は、無理矢理はがそうとするんじゃなくて、
別のセロハンテープとかをくっつけてはがしたり、
「シールはがし液」みたいのをくっつけてはがすと
キレイにとれたりする。
もしかしたら、私たちの「余分なもの」も
そんな役割を担っていたりするのかもしれない。
今は、「手放し」みたいのも流行しているみたいだけれど、
いま自分にベッタリと貼りついている執着や感情を
「手放そう、忘れよう」
みたいに思っても、そんなにうまくは行かない。
それだったら、遠回りに見えるけれど
一見、余分なものや無駄なものを自分に
「くっつけて」みて、あらためて全部一緒にはがす、
みたいなプロセスも、アリなのかもしれない。
「どうせ、いつか捨てるんだから」
と言って、何も買わないなんて、味気ない。
「どうせ、いつか死ぬんだから」
と言って、飲まず食わずでいられることがないのと同じように。
「無駄かもしれないけど、自分のものにしてみる」
「余分だけれど、今の自分にくっつけてみる」。
そんな風にして、
くっつけて、はがして、手に入れて、忘れて、
という繰り返しの螺旋階段の中で
「ああ、手放すって、こういうことか」
と悟れればいいんじゃないかな?
悟り界のトップリーダーであるブッダだって、
出家するまでは自分の王国で贅沢のかぎりを尽くしたし、
出家した後もいろんな思想に触れては、はがしていった。
凡人である私なんて、もう開き直るしかないよね(笑)
さてさて。
「いろんな感情や思いを、手放せないんです」
「無駄なことばかりやってます」
そんなことで悩んで、
「手放そう、忘れよう」
と悶々とするのなら、いっそのこと
もっと余分なものに身をゆだねてみちゃうのも
いいのかもしれないよね。
モノも、知識も、名誉も、その他いろんなものも、
自分で手に入れ、くっつけて、
コレじゃないと気づき、悩み、
そして見極めて捨ててゆく。
そんなプロセスこそが、
「生きる」ということそのものなのかもしれないよね。
・・・と、まだまだ色んなものを手に入れたいと思っている
「我欲のカタマリ」
の私が言うと、言い訳以外のなにものでもないんだけれど(笑)
何かの参考になったら嬉しいです。
ではでは。