日々、いろんなことがあったり、
コロコロと気持ちが変わったりするやん?
そんな中、できるかぎり
機嫌よく、ニコニコと過ごしていたいなー、
ってのは、誰もが願うところ。
で、
「どないしたら、
みんながニコニコ過ごせるんやろ?」
「みんながニコニコとしている中、
ワタシ自身も楽しくなれるんやろ?」
みたいなことを、ボーっと考えてたんだけど、たぶん
「積む、見る、生きる」
と
「時間軸」
を整理すると、いいんとちゃうか?と、
つらつら思った。
すごい乱暴だけれど、ザックリ分けると人は
・人生の奴隷
・人生の平民
・人生の王
という、3種の生き方を選ぶことができる。
(と仮定した)
そして、その「奴隷、平民、王」を
決めるのは、ほんのちょっとした
組み合わせの違いで決まるようだ。
もちろん、その時と場合、
そして個別の案件によって
1人の中に3種の「階層」が混在しているんだけど、
その時の脳内での占有率が最上位の「階層」が
その瞬間の本人の人生を決めてしまうように思われる。
じゃあ、その3種って、どないなの?というと。
人生の奴隷は、
「過去を見て、未来を生き、今を積む」
という構造になっている。
つまり、
過去に起きた問題を
「ああだったらよかった、こうだったら・・・」
と、過ぎ去ったことに、いつまでもフォーカスする。
そして、
「未来は、こうなったらいいなー、ンフフフフ」
あるいは
「これからどうなるんだろう、、、ガクガクブルブル」
と、なんの準備もしないまま、
夢想したり、不安におののいたりする。
で、現在やるべきことは山積みになってゆく、
という状態だ。
あいや、
「私って、深く考える癖があって。。。。」
っていうのは良いんだけれど、
「起きたこと」を深く考えてもグルグルするだけだ。
「起こること」を深く考えるための材料にしなければ
未来への発展はない。
ってなわけで、「人生の奴隷」を簡単に言うと、
「もう、本当にやることいっぱい!
それもこれも、過去のアレのせい!
これから私、どうなるんだろう。。。。」
という思考回路。
人生の奴隷、ってか被害者という自分を選択し、
結果としてどこかの誰かに隷属することになる。
次。
人生の平民は、
「過去に生き、未来を積み、今を見る」
という生き方をする。
過去、自分がやってきた実績や経験によりかかり、
今の問題を見て、
「これは、こうするしかない!」
「どちらが得か?損か?」
と「処理」してゆく。
奴隷のように完全に支配されているわけではないが、
処理に処理を重ねて、未来の可能性が
悪い意味で増えて山積してゆき、いつしか
「あれ?私って、どう生きたいんだったっけ?」
と途方に暮れることになる。
うまくやってきているつもりで、
結果として何を求めて来ているのか見失ってしまう。
つまり、
「昔からこうだったし、
今回はコレをチョイスするのが ” 正解 ” 。
ンフフ、私ってば賢い!
え?これからどうなるのか?それは後回し。。。」
って感じで生きるわけや。
いや、別に悪くないぜ?
ただ、その「損得」って、
他の人が作った価値観(お金とか地位とか)で
ないことを祈るばかりや。
そして、個人的に考える人生の王は、
「過去を積み、未来を見て、今を生きる」
だと思っている。
過去は過去。
そこから学ぶことは学び、
幸せは積み上げ、不幸な感情は浄化する。
反省はするけれど、そこに支配されない。
未来は高く、大きく
自分の価値観に基づいた一点を目指す。
それは具体的なものかもしれないし、
抽象的なものかもしれない。
いずれにしても、自分の中の灯台、
自分の中の北極星としての本質を目指す。
そして。今できることをやる。全力で。
失敗もあるし、人を傷つけることもある。
自分の中の「奴隷」や「平民」に気圧されることもある。
それでも、自らに問い、立ち還り、今を生きる。
そう。
「歴史に学ぼう。
自分の体験は、その参考材料のひとつ。
自分が今できることをやり、
自分の信じた未来を迎え入れてゆこう」
そんな生き方。
いいね!すごいね!超いいね!
さてさて。
最初に書いたように、
この3つの「階層」は、私たち一人ひとりに
すべて備わっている。
それが、
「あなたという国」「私という世界」
なんだから、当然だ。
その上で、
自分の中のどこがリーダーシップをとるのかは
自分で決めるといいよね。
心はコロコロ動く。
いつもベストな自分でいられるわけもない。
でも、本当のあなたは美しいはずだぜ。
お互い、元気出していきましょうエーザイ。
ではでは。