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インプット、アウトプット

今までの人生の中で、
たくさんのものをインプットしてきたなぁ、
と、あらためて感じる。
 
 
おいしいご飯も食べてきた。
 
たくさんのおもちゃも買い与えられてきた。
 
愛情も、たっぷり受け取った。
 
様々な知識を吸収してきた。
 
 
 
そんな、たくさんたくさんの
 
「吸収してきたもの」
 
「インプットしてきたもの」
 
に比べると、自分のアウトプットは
まだまだだなぁ、と感じるんだよね。
 
 
 
 
 
 
 
別に自分を卑下するつもりはないんだけれど、
心から
 
「インプットしてきたものが数千万、数億だとして、
 アウトプットは、1も出来てないなぁ」
 
なんて思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
たとえば、
 
素晴らしい音楽の1フレーズ。
 
マンガの名シーンの1コマ。
 
 
 
その1フレーズ、1コマが人々に与えた影響と、
自分が生まれてからこの年齢までに
アウトプットしてきたもの全部とを比較してみる。
 
 
あきらかに、1フレーズ、1コマの方が
私の全生涯のアウトプットよりも、影響度が大きい。
 
 
 
そんな風に、ニュートラルに思うんだよね。
 
 
 
 
 
 
 
そんな素晴らしいものを、私は
1フレーズ、1コマ以上に、たくさん受け取っている。
 
 
もちろん、音楽や作品ばかりじゃない。
 
 
たくさんの文明の利器の恩恵も受けているし、
そもそも、食べ物は全部、命だ。
 
 
 
それを、たくさんたくさん吸収している。
 
 
 
 
 
  
 
食べてきたもの、
 
見てきたもの、
 
聞いてきたもの、
 
感じてきたもの、
 
 
「自分が一生かけても、その1瞬にかなわない」
 
という素晴らしいインプットを
数万、数十万、数千万、数億と重ねてきているんだよね。
 
 
 

 
繰り返しになるけれど、
これは、別に自分を低く見積もって言っているんじゃない。
 
 
 
どんなに素晴らしい作品を残している人でも、
どんなに素晴らしい発明を残している人でも、
 
 
それでも本人がインプットしてきた数々のものに比べれば、
微々たる成果でしかない。
 
 
大いなる観点から見れば、
偉大なるアーティストや発明家も、私も、
大した違いはない。
 
 
インプットしてきた数億のものに比べ、
アウトプットしたのが1なのか、10なのかは
もう誤差の範囲と言ってもいいくらいだ。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
だから。
 
 
 
 
 
 
自分ができるアウトプットをするのは、
もはや、当然やることだなぁ、と思うんだよね。
 
 
 
一生かけても、自分が受け取ってきたものの
コンマ数%もお返しすることができなかったとしても、
自分ができることをするのは、当たり前だよなぁ、と思う。
 
 
それが、人のいとなみの
自然なサイクルなんじゃないかな?と思える。
 
 
 
 
 
つい、普段の生活をしていると
 
 
「これをアウトプットすると、儲かるか?」
 
「私にとって、なにかプラスになるか?」
 
 
なんて考えてしまう私だけれど、
今までに自分が受け取ってきたインプットを考えると、
 
 
 
「そんなケチなこと、言っているんじゃないよ!」
 
 
「どんだけ今まで受け取ってきたと思ってんの?」
 
 
 
なんて風に、恥ずかしくなってきてしまう。
 
 
 
 
 
自分の一生をかけて、
どれだけのアウトプットを
どんな形でできるのかは、わからない。
 
 
 
 
でも、自然のサイクルの中で
たくさんのものを受け取り、
そのごくごく一部をお返しする。
 
 
そうやっていくのが
たぶん「生きていく」ってことなんじゃないかなぁ、
なんて思った次第。
 
 
 
さて、
 
今日はどんな数千万のものを受け取って、
ひとつかふたつのアウトプットができるのかなぁ?
 
 
 
ではでは。
 

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