「イグさん、私、
自分のことを好きになれなくて」
「自信が持てなくて。。。」
「どうやったら、自己肯定感って
持つことができるんですか?」
みたいなご質問を何件かいただいたので、
「こりゃ、自己肯定感アップの
オンラインセミナーでもやるかウヒヒ」
、、、とも思っているのだが、セミナーやる前に、
最大のキモをここに暴露しちゃおうと思う。
なぜなら、やさしいから!笑
、、、コホン。さて。
自己肯定感を持つため、高めるための
最重要ポイントは、
「自分以外の外側に
自分の価値を見出さないこと」
でありんす。
自分以外の外側、っていうのはな、例えば。
あの人よりも○○が秀でている、とか、
お金をいくらいくら持っている、とか、
私にはこういう役割がある、とか、
あの人に認められている、とか、
私がいないと、これが回らない、とか、
つまりそういうことたちだ。
いやね。
他者との比較で自信を持つこともあるだろうし、
役割は人生にハリを与えるし。
もちろん自分を肯定するのに
外の世界がまったく関係ない、とは言わない。
ただ、それを中心の軸にすると
すぐに折れまっせ。だってハリボテだから。
あの人より秀でている!を中心にしてたら
さらにすごい人を見た時、どうするん?
お金?なくなったら?
そうじゃなくても、よりすごく
なり続けるために走る無間地獄コースだけど?
役割は、いずれにしても、いつかなくなる。
中心に据えるには、もろすぎる。
あの人に認められている?
それを人は依存、あるいは共依存と呼ぶ。
私がいないと回らない?
それは、いなくなってみないと分からない。
そうなんよ。
「外側」に自己肯定感を求めている限り、
間違いなく発症するのは、
【 喪失の恐怖 】と
【 継続・拡大の中毒 】だ。
誰か、あるいは何かを中心軸とした
自己肯定感は、恐怖を宿す。愛じゃない。
なので、
「自己肯定感を高め合うために
ほめ合いましょう」
とか、
「自分のいいところを
人に言ってもらいましょう」
とか、
「できていることに目を向けましょう」
というのは、一時的には気持ちよくなっても
根本的な自己肯定感にとっては、害にすらなる。
もちろん、そういったことが全部ダメ!
というのではなく、
「それを自己肯定感の
中心軸に据えるのは危険!」
という話なので、そこを読み違えんといてね!
自分にとってハリのある役割も、
他者と比較して自分の位置を見るのも大切!
ただそれを、
「だから、私は自分を肯定できる」
という中心に据えると、
あとで精神をむしばまれまっせ、って話。
「えー、じゃあ、何を自己肯定感の
中心に持ってくればいいのですか?」
という話なのだが、それはセミナーで、、、、
とか言うとイヤらしいので、それも書くけどさ。
「あなたは生きているだけで素晴らしいんです!」
「すべてに感謝しましょう!」
とか、そりゃ究極的にはそうだろうけど、
もうちょいそうじゃねぇのが欲しいだろ?
なのでひとつ書いちゃうと、基本、
「人に言いたくもない過去」
が、けっこう役に立つ。
「自分が成し遂げてきたポジティブな達成」
ってのも、もちろん自分を肯定できる要因になる。
けど、そこにはどうしても他者との比較とか
役割とか、そういったことが混ざるので、
中心に据えるのは、やや危険だ。
だから、
「人に自慢できること」
じゃなくて、
「人様にはなかなか言う機会はないけれど、
自分の力でなんとかしてきたこと」
ってのは、けっこういい。
いや、犯罪系とか裏切りの末路とか、
そういったことじゃねぇぞ?
自分が、なんとか生き抜いてきたという事実。
誰かとの比較じゃなく、
自分が辛かったことは間違いないわけだし、
そこをどうにかしてくぐり抜けてきたことも事実。
だからそれを、
「あー、けっこう辛いこともあったなー。
でもまぁ、今生きてるんだから、まぁまぁじゃない?」
と肯定する。
ポジティブなことだと、
自分よりも「すごい」人の話を聴くと
自己肯定感は下がる。
でも、苦労とかネガティブなことだと
自分よりもすごい苦労した人の話を聴いても
労い合える事が多い。
役割や実績は
喪失したり「もっともっと」となるけど
過去の苦労は喪失しないし
「もっともっと」となるのはドMだけだ。
ってなワケで、さてさて。
もちろん、他にもいろいろと
自己肯定感を持つ方法はある。
ただ今回最も知ってほしいポイントは、
「自己肯定感を持つためには、
自分以外の外側に
自分の価値を見出さないこと」
ということ。
そして。
心の傷が多い人であればあるほど、
ふとしたきっかけで、自分を肯定できる人になる、
ということ。
恐怖を内在したハリボテでなく、
やさしさに転化できる過去が多いのだから。
自分の過去を良い悪いでジャッジするのではなく、
それらを肯定すること。
それこそが、自己肯定感だと
思うのでありんす。
ではでは。