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賢者は積み重ね、愚者は積み上げる。

「何事も、積み重ねが大事」
なんてことは言われているよね。
 
 
それは、まったくもって
おっしゃるストリートだと思うし、
異論はない。
 
 
 
そのうえで、
 
実のところ、「積み重ね」に
似て非なることを
やってしまっていることも多いなぁ、と。
 
もちろん、私も含めて。
 
 
そんなことを先日、とある賢者と
かつおのわら焼きを食べながら振り返った。
 
 
今回は、そんなシェア。
 
 
 
 
さて。
 
 
「積み重ねる」というと、
なんとなくイメージするのは
 
「今までの自分の経験や知識の上に
 新しい出来事を乗せてゆく」
 
といったものだと思う。
 
 
そしてそれは間違いではないのだけれど。
 
 
でも、きちんと自分のものとして
吸収していける、いわゆる
 
「賢者の積み重ね」
 
と、積み重ねているようで
ぜんぜんモノになっていない
 
「愚者の積み上げ」
 
があるように思う。
 
 
 
そこにあるのは、ほんの些細な
差異であり、才。
 
でも、その些細なことが
大きな違いをもたらしてゆく。
 
 
 
その差とは、
 
「知ってる」で対峙するのか、
「はじめて」で対峙するのか。
 
 
 
 
たとえば、
新しい知識に触れたとする。
 
それは日常での経験でもいいし、
人から伝え聞いたことでもいいし、
セミナーや講習などの学びでもいい。
 
 
その時、つい
 
「あー、これは知ってるわ」
 
という態度で、自分の知っていることを
前提にして対峙すると、
それは実は「積み重ね」になりにくい。
 
 
新しいことに対して、
過去の蓄積との比較が入る。
 
 
すると、
 
「これは受け入れられる」
 
「これは ” 正しい ” 」
 
あるいは、
 
「これは必要ない」
 
「これは ” 間違っている ” 」
 
というジャッジになる。
 
 
そうすると、結局、
今まで学んできたものと共通する部分しか
吸収できてないので、あまり学びにならない。
 
 
 
イメージ的には、
 
「既存の学び」という箱があったとして。
 
その上に「新しい学び」という箱を載せるのだけれど、
その新旧の学びの共通している部分だけ接している感じ。
 
 
箱がズレてる。ジェンガみたいに。
 
 
となると、いつか、それは崩れ落ちる。
 
 
本人的には「積み重ねている」と思っていても、
それは実は「積み上げている」だけに過ぎないわけだ。
 
 
 
もちろんそれは学びだけでなく、
人間関係にも言える。
 
 
自分の都合のいい時、
都合のいいところだけの関係で
「積み上げ」ていたら、
 
その関係は絆ではなく、
ガタガタの上っ面になる。
 
その場かぎり、自分だけが「得」をして、
そして人が離れてゆく、の繰り返し。
 
そんな関係になる。
 
 
 
ものすごく目立ち、
高々と積まれているように見えて、
ある時を境に、ガラガラと堕ちていくような。
 
そんな「積み上げ」になってしまう。
  
 
 
 
それに対し。
 
 
賢い人、本当に積み重ねようと思っている人は、
何事においても
 
「はじめて」
 
から入ってゆくように思う。
 
 
たとえ自分が似たような経験や知識を持ち、
もしかしたら自分の方が専門性を持っていたとしても、
まっさらな気持ちで、ことにあたる。
 
 
そして、
 
「あー、そんな見方もあるのか!」
 
「なるほど、これは知らなかった!」
 
と、新鮮な感動をもって受け入れる。
 
 
 
話が少しそれるけれど、
 
私がやらせていただいている
セミナーや合宿には、
 
「え?なんであなたのような方が?」
「私から学ぶこと、1ミクロンもなくね?」
 
と思うような方々も来て下さるのだが、
そういう人に限って
 
 
「イグさん、本当に学びになりました」
 
「発見ばかりでした」
 
 
と言ってくださる。
 
 
マジかよ!?と思うのだが、
みんながみんなそうだ。
 
 
 
そして、学びを自分のものとして吸収し、
さらなる活躍と発展と幸せに向かってゆく。
 
その方々は、間違いなく
「積み重ね」ているのだろうな、と尊敬する。
 
 
 
そのような姿勢を
さっきのように喩えるならば。
 
 
賢者は、「既存の学び」という箱があったとしても、
すぐに「新しい学び」の箱を乗せない。
 
 
まったくのゼロ地点から箱を吟味し、
どのように箱を載せるかを咀嚼し、
 
「既存の学び」の上に、
自分としてぴったりと重ね合わせるように
ていねいに載せる。
 
あるいは、上に積むだけでなく、
自分の土台の強化として並べてゆく。
 
 
まさに「重ねる」わけだ。
 
 
 
そうすれば、もちろん、それは崩れにくい。
 
大きな根を張り、
どのようなことも吸収していける
 
「大いなる金字塔」
 
となってゆくのだろう。
 
 
 
もちろん、それは人間関係にも。
 
 
はじめて会う人にはもちろんのこと、
親しい友人、恋人、あるいは家族にも
 
 
「はじめまして!」
 
「今日も新しい発見だらけで感動!」
 
「斬新!」
 
「そんなところもあるの、
 今までぜんぜん知らんかった!」
 
 
みたいに、ていねいに関係を紡いでいけば、
 
 
「あー、知ってる」
 
「まったく、いつもそうなんだから」
 
 
と接するよりも、
断然「重なる」のだろうね。
 
 
それがきっと、深い絆を生んでゆき、
人が人を呼んでくる。
 
そんな風にも思う。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
思いのほか長くなってしまったけれど、
お付き合いありがとうございます。
 
 
私自身は、ついつい
 
「あ、これ知ってるわ」
 
「あれ?これって違わね?」
 
と、愚者愚者に「積み上げて」しまいがち。
 
 
 
だからこそ、
 
「あ!はじめて!」
 
という新鮮な感動を忘れないように
気を付けていければな、と思いまする。
 
 
今までと異なるものを吸収して
人間的にも「積み重ね」た人になりたいと思います。
 
 
 
ではでは。
 

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