「イグさんは、人を見る目がありますか?」
と質問されるけど、それに対する今の答えは
「わかんない」
である。
いやね、ワタシが
「最大に恵まれていることを
ひとつだけ答えなさい」
と言われたら、1ミクロンの迷いもなく
「人に恵まれている」
と即答する。もう、光の速さで。
もう、めちゃ素晴らしい人たちとの縁に恵まれている。
しかも、
人格的、社会的、技能的、に
それぞれすごい人たちだし、
さらに、
性別的にも年齢的にも、
活躍しているジャンル的にも
バラエティがすさまじい。
金融でもスピリチュアルでも、
ロジカルビジネスマンでも直感アーティストでも、
テクノロジー最先端でも、自然児でも、
人気者でも、孤独を愛する人でも、
色んな人が交流してくださる。
しかも仕事とか損得とか、
特定の趣味とか方向性とか
そういうのでつながっているワケでもない。
最高のカオスだ(自慢)。
ただ、
「じゃあ私に、人を見る目があるのか?」
というと、わからん。
いや、以前は
「人を見る目だけは自信がある(ドヤァ」
と思っていたのだが、
もう、全然そこにも自信ない。
すっげー勘違いするし、騙されるし(笑)
なので、もう
「自分が相手にできるかぎり誠意をもって接し、
あとは、なりゆき次第」
という風になってきた。
ワタシと合う合わないは、
その人の自由意思だからね。
ただ。
その上で、たいてい失敗するパターンもある。
それは、
「オーラのある人」
は、ほとんどの場合、仲良くなれない。
あ、この表現は誤解があるかもしれないけれど、
ちょい説明すると。
ここで言うオーラのある人っていうのが難しくて、
「その人の周りにオーラが見えるような気がする人」
は一見すごいんだけれど、
実のところ、私が仲良くしたくなる
大切な何かが欠落していることが多い気がする。
なんか、ちょっと違う。
(まぁ、ワタシに好かれるかどうかなんて
相手にとっては、知ったこっちゃないんだろうけれど)
そもそも、
本当に人格的にも素晴らしく、
人物的にでかい人のオーラって、
その人を中心に半径100mとか何kmとかに広がっている。
なので、会った時にはその人のオーラの
「中」に私自身が入っているので、
その時には、ぜんぜんオーラを実感できない。
(少なくともワタシには)
そういった人のことを「すげぇ!」って感じ取れるのは、
その人が私に話を合わせて、自分のエネルギーを
「小さく」してくれて、はじめて気がつけるってぇもんだ。
なので、
会った時から、なんかバリバリオーラを感じる人は、
エリマキトカゲが「シャーッ!!」ってやってるのと同じで、
人格的には、あまり好きになれない。
それは「オーラ」でなく「オラー!」だ。
(あ、人に見られることが仕事の人は別ね)
そう。
個人的には、
なんかおかしい人とか、
常識のネジを何本もなくしている人とか、
どうしようもなく欠落している人とか、
そういう方は、どうしようもなく大好きだ。
ただ、それでいて
自分の信念を持っている、とか、
一所懸命である、とか、
大切なヒトとコトは大切にする、とか、
生きることに絶望しながらも投げ出さない、とか、
被害者ではなく、企む側である、とか、
そういう所も持っている人と、つながっていたい。
そういう人は、「パッと見のオーラ」ではなく
「なんか丁重に接したくなる凄み」がある。
これ、似て非なる感じなんだけれど、
分かっていただけるだろうか?
そんなことを言っているワタシ自身が、
この「オーラ」と「凄み」を見間違えてるから、
人を見る目が、さまよう my soul なのだが(笑)
さてさて。
今回の話に、あまりオチはない。
ただ、
「人を見る目に自信がある」
と慢心していると、
たいてい落とし穴に落ちてきた(笑)
だから、
「自分自身の、人を見る目を疑え」
「オーラのある人はエリマキトカゲの可能性」
「人を評価する前に自分が誠意を示して、あとはなりゆき」
「今そばにいてくれる人が、自分の通信簿」
というスタンスが、特に何にも秀でてないワタシが
人と交流していくために必要なことなのだと
思うのでありんす。
いつも仲良くしてくれて、ありがとうー!
ではでは。