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微差こそすべて

最近、我ながらしょうもないと思いながら、
ものに含まれている水分量を、ちょっと調べてみたのね。
 
 
すると、けっこうな種類のものが、
9割以上水分だってことがわかった。
 
 
たとえば、
 
 
こんにゃく 97%
 
じゅんさい 98%
 
塩漬けくらげ 94%
 
キュウリ 93%
 
かぼす 90%
 
生マッシュルーム 90%
 
 
 
もう、ほとんど「水」なわけよ。
 
 
 
 
でも、
 
 
私たちは、
 
「かぼすとマッシュルームって、
 ほとんど同じだよね」
 
と思っている人は、いないだろう。
 
 
 
「あー、さんまの塩焼きにかける
 かぼすが無いなぁ。
 じゃあ、かわりにマッシュルームでいいか」
 
 
とは思わない、よね?(笑)
 
 
 
9割以上が水分だったとしても、
それぞれの食材にある違いを認識し、
もっともふさわしい形で食べることに喜びを感じる。
 
 
 
 
ほとんどが水分だと知ったからと言って
 
 
「今度から、おでんに入れるのは
 こんにゃくじゃなくて、じゅんさいでいいな」
 
 
とは判断せず、それぞれで楽しもうとするだろう。
 
 
 
 
 
 
 
さらに。
 
 
 
 
私たちは、たとえば同じキュウリにしても、
 
 
「これは美味しいキュウリだ!」
 
 
という時と、
 
 
「あれ?ちょっとイマイチなキュウリだな」
 
 
なんて思う時とがある。
 
 
 
 
 
そればかりか、
 
 
「おいしい水」
 
 
なんてものが売られている。
 
 
ということは、
そうじゃない水もある、ということを
みんなが認識しているということになる。
 
 
 
 
 
もう、9割以上が水分だったり、
水そのものだったりするのに、
 
「おいしい」と「そうでもない」が
はっきり分かれちゃったりするわけなんだよね。
 
 
 
ってことは。
 
 
 
質の高い低いは、
もうホント、コンマ何%の違いでしかないわけだ。
 
 
微差、というのもためらわれるような、
本当に、小さい小さい、小さい差が決定力になる。
 
 
 
同じ種類のものならば、
大きな差なんて、実ははじめからなくて、
差があるとしたら、それは「微差」ですべて決まる。
 
 
 
微差こそ、すべてである。
 
と言いきっちゃっていいみたいだよね。
 
 
 
  
 
 
さて。
 
 
 
 
 
ここまで話したら、
私の記事に慣れてくれている人は、流れが分かるかも(笑)
 
 
 
 
そう。
 
 
 
この「微差がすべて」は、間違いなく
人間そのものにも言えることなんじゃないかな?
 
 
 
たとえば、
 
 
お金儲けが上手い人、下手な人。
 
 
異性にモテる人、モテない人。
 
 
幸せを感じやすい人、感じにくい人。
 
 
 
 
自分が持っていないものを持っていたり、
出来ていなかったりする事が出来る人を見ると、
 
つい、
 
目につきやすい「大きな差」に意識が行きがちだ。
 
 
 
 
たしかに、「大きな差」が影響していることも
なくはないだろう。
 
 
 
しかし。
 
 
 
まず大抵の場合は、大きな差なんていうのは、ない。
 
 
あったとしても、
その分野に対する積み重ねの時間くらいかもしれない。
 
 
 
 
ほとんどは、「大きな差」なのではなく、
おいしいキュウリかそうでないキュウリくらいの
 
「超微差」
 
が、すべてを決めている。
 
 
 
お金に対する意識が、0.1ミリ違う。
 
 
異性に言う言葉が、ひと呼吸違う。
 
 
幸せのフォーカスが、0.1度だけ違う。
 
 
 
そんなものなのかもしれないね。
 
 
 
 
おいしいキュウリも、そうでないキュウリも
見えるところは、そう変わらない。
 
 
おいしい水だって、見た目で判断できないだろう。
 
 
 
 
 
だから、
 
 
 
「お金がある」
 
「モテている」
 
「幸せそうだ」
 
 
なんていう、見えている「現象」じゃなくて、
 
その現象を引き起こしている微差に目を向けると、
望む結果を得られやすくなるのかもしれないね。
 
 
 
 
 
とか書きつつ、
 
私自身、いつも周りの人たちと自分の
「微差じゃないところ」に目を奪われてしまっていたり
するんだけれどね(笑)
 
 
ではでは。
 

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