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知識と知恵と知性の違いって?

なんとなく違うのは分かる。でもどう違う?
みたいなことって、けっこうあるやん?
 
 
その中のひとつに、
 
「知識と知恵って、どう違う?ついでに知性は?」
 
みたいのって、ない?
 
 
まぁ、他にも「知見」とか「知能」とか
言い出したらキリがないのだけれど、とりあえず。
 
 
 
さて。
 
 
なんとなくだけれど、
 
【知識】ってのは、お勉強によって
「知っている、知らない」ということが分かれる感じ。
いわゆる「物知り」ってのは、知識に該当するのだろう。
 
 
そして、【知恵】っていうのは、
自分の知っていることを、どう活用するのか?ということで、
応用力的な印象を受ける言葉だ。
 
 
で、【知性】というのは、その人の「知」における
全体像というか、方向性というか、そんな感じ?
 
 
 
で、そういうのは、いいのよ。
 
 
ある言葉に対して、
別の言葉で長々と説明するのが
必要な時もある。
 
 
でも、
 
もっとザックリと、イメージとして全体的に
理解したい、ってのもあるやん?
 
特に今回の「知識と知恵と知性」みたいな
類のやつって、そうじゃない?
 
 
 
、、、ってなワケで、これらの言葉は
個人的には、
 
「あー、なんか、単位の違いみたいな?」
 
なんて風に捉えるのも、ひとつかな、と。
 
 
例えば、
 
「知識」は体積
「知恵」は密度
「知性」は質量
 
といったイメージで。
 
 
 
【知識】は、それが重かろうが軽かろうが
その「知」があるかないかで決まり、
「ある」ことで「かさ」が増していく。
 
なので、立法センチメートル的に
大きくなっていくイメージだ。
 
「知識を得る」と言うけれど
「知識を出す」とは、あまり言わないのも
性質的に「かさ」が量られるからなのかもしれない。
 
 
 
対して、【知恵】はその「濃さ」が問われる。
 
大きさではなく、そこから熟された密度によって
得られる成果が変わってくる感じだ。
 
「知恵をひねる」「知恵をしぼる」というのは
やはり密度的な印象をみんなが持っているから
なのかもしれない。
 
 
 
そして、【知性】は、その全体像。
体積である知識と、密度である知恵を
かけ合わせることで、その人自身の
「知の重さ」が見て取れるのかもしれない。
 
「知性を感じる」「知性が豊か」といった使い方から
やはり、近しいものを感じているのかもしれない。
 
 
 
理科で
 
「体積=質量÷密度」
「密度=質量÷体積」
「質量=密度×体積」
  
って、やったなぁ、なんて思い出したりも
しちゃったり、しちゃわなかったり。笑。
 
 
 
さてさて。
  
「それって、こういう見方すると矛盾してません?」
 
って、そうかもね。
 
 
でも、いいんだよ、それで。
 
 
言葉を感じ取る上で、
 
「別のイメージで捉えられるか?」
「言葉に言葉を重ねて説明するだけではない見方」
 
ってのをやるのも、理解をする訓練のひとつなのだから。
(少なくとも、ワタシの中では) 
 
 
 
いずれにしても、
 
知識、知恵、知性というのは
それぞれが別個でありつつも関与しあう関係だし、
どれが良い悪いという優劣もない。
 
 
人として生まれたのだから、
そのどれもを愉しめるといいのだろうね。
 
 
ではでは。
 
 

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