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「笑顔になっては、いけない」

たぶん、この感覚は
 
「理解してくれる人は理解してくれる」
 
っていう類のものなのかもしれないけれど、
それを書いてみる。
 
 
 
 
すごく昔。
 
社会人2年目くらいの時に、
仕事で(当時としては)ものすごいミスをして、
先輩何人にも迷惑をかけたことがあったのね。
 
 
そのミスは、先輩たちのおかげで
なんとか事なきを得て、その後
 
「まぁ、終わったし、飲むか」
 
という流れになったわけ。
 
 
 
その時、私としては
 
「先輩たちに、ものすごく迷惑をかけてしまった」
 
「本当に自分で自分がイヤになる」
 
「いたたまれない」
 
という気持ちでいっぱいで、
その飲み会の最中、ずっとうつむいて
一杯も飲まず、食事にも手をつけなかった。
 
 
「こんなミスをしたのに、
 明るく元気に笑うなんて、してはいけない」
 
「反省していないのか?と思われてしまう」
 
 
という気持ちから出た行為だった。
 
 
 
また、その時に限らず、
 
自分がものすごく人を傷つけてしまったことを知ったり、
自分のせいで誰かが不安な日々を送っていたり、
シリアスな状況になってしまった時に
 
「事態を重く受け止めよう」
 
と考え、
 
  
「笑っては、いけない」
 
「元気では、いけない」
 
「明るくしては、いけない」
 
 
ひいては、
 
 
「私は金輪際、幸せを感じては、いけない」
 
 
と心を閉ざして、封印をしてしまうことがある。
 
 
 
みんなには、あるのかな?
そこは、ちょっと分からないけれど。
 
 
まぁ「ある」という前提のもと、
続けて書いてみたい。
 
 
 
なにか重大でシリアスな局面になった時、
自分のエネルギーを封印する。
 
それは、自分の中の罪の意識から。
 
 
 
でも、
 
その態度は、はたして本当に正しい態度なのか?
というと、非常に難しいと思う。
 
 
もちろん、事態を重く、真剣に受け止めて
反省をしたり、今後について一生懸命やるべきことを
やるのは大切だ。
 
 
ただ、
 
「笑っては、いけない」
 
と、落ち込んだ状態をキープしようとするのは、
本当に誰かのためになるのだろうか?
 
 
 
先輩たちに大迷惑をかけた後の飲み会の席で、
先輩たちの勧めるお酒も食事も
 
「今日は飲めません」
 
「今日は、僕には食べる資格がありません」
 
と拒否してうずくまっていたのが、
本当に反省の態度だったのだろうか?
 
 
 
と、今はその態度にこそ反省するんだよね。
 
 
 
シリアスな事態は、真剣に受け止める。
自分に出来る限りのことをする。
 
そして、罪の意識にうちひしがれているのではなく、
自分を強く持って、事に当たる。
 
 
それが、いいんじゃないかな?
と、今は思っている。
 
 
 
別に
 
「ヘラヘラ笑おう」
 
という話ではなく、ただ自分を強く持つ。
 
 
 
仕事でミスをしたのなら、そのリカバリーをする。
 
傷つけたり、不安にさせてしまった人がいるのならば
自分を強く持って、相手のためにできることを全力でやる。
 
 
その時に、事態は真剣に受け止めながら、
自分のエネルギーを閉ざすことなく、やる。
 
 
 
その結果、もしかしたら、
 
「あなた、全然反省していないんじゃないの?」
 
「ちゃんと、この状況理解してる?」
 
と、余計に関係者の気持ちを害してしまうことも
あるかもしれない。
 
 
答えはない。
 
 
 
ただ、
 
「笑っては、いけない」
 
「元気では、いけない」
 
「明るくしては、いけない」
 
 
ひいては、
 
 
「私は金輪際、幸せを感じては、いけない」
 
 
という心の状態は、どちらかと問うまでもなく
 
 
「自分にフォーカスしている」
 
 
という状態のように、私には思える。
 
 
 
なので、
  
そうではなくて、自分のせいで迷惑をかけたり、
傷ついたり、不安になっている人にフォーカスをして
 
「今、私にできることは何だろう?」
 
と自問して、やるべきことをやる方が良いように思う。
 
完全に、個人的意見かもしれないけれどね。
 
 
 
 
誤解を恐れず、自分にできることをやる。
 
シリアスな時であればあるほど、
自分の殻に閉じこもらない。
 
強く、ある。
 
 
 
そんなことを意識していきたいと思っているので、
今後ともよろしくお願いします。
 
 
ではでは。

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