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傲慢とは?

「イグさん、傲慢(ごうまん)って、
 どんなことですか?」
 
ほらまたきたよ、答えにくい系の定義質問。
 
 
コレ。
 
答えたら確実にワタシが傲慢やん?
ゴーマンかましてよかですかになるやん?
 
しかしまぁ、結局なんだかんだ言っても
書くんだけれどね。笑。
 
 
 
さてさて、傲慢かぁ、、、
 
 
んー、現時点でのワタシの定義としては
 
「渦中力の欠如」
 
かな?
 
 
 
当人が立たされている状況や当人の思い。
 
そこに至るまでのプロセスや
これからどうなりたいのかを考慮せず、
「外野」「安全圏」から言動すること。
 
相手の渦中をイメージする想像力、
そんな「渦中力」の欠如が傲慢を生み出すと思う。
 
 
そしてそれは、俯瞰とは少し違っていて、
自分の位置を1ミリも動かすことなく
自分の見えている世界だけで判断する
 
「渦中へのダイブ拒否」
 
の姿勢とも言えるかもしれない。
(ほら、ワタシが傲慢になってきたw)
 
 
 
個人的に、
誰かに触れた時、大切にしたい質問がある。
 
 
「自分が、その人と同じ渦中に入ったら?」
 
「しかも、その人と同じ年齢、性別、能力で、
 過去、立場、守るものなどを持っていたら?」
 
 
という2つ。
 
(注:大切にしたいが、いつもできているとは言ってない)
 
 
しかし、この2つの質問を排除し、
想像力を働かせることなく、
安全な場所から言い放つ言葉は、
えてして傲慢になるような気がするけど、いかがでしょう?
 
 
 
そう。
 
自分が通ったことのない道に対して
 
 
「これって、こうでしょ?」
 
「こんなん、簡単でしょ?」
 
「なぜ、できないの?」「なぜ、やるの?」
 
 
と言うのは、簡単かもしれないけれど、傲慢だ。
 
 
 
ましてや、
 
自分が通ってきた道で、
昔はできなかったことなのに、今はできるからといって
 
 
「だからダメ」
 
「ほうらね!」
 
 
なんて言うのは、傲慢を通り越して
老害としか言いようがない(その人の実年齢がいくつであれ)。
 
 
 
自分がマウンティングしたいからなのか?
 
自己承認欲求、コントロール欲求、エゴ、愛の渇望。
そんなもので、他者への愛情が曇ってしまうのか?
 
 
まぁ、「分かっているスタンス」で
背伸びしたい気持ちも分からんでもない。
 
が、そんな背伸びでつま先立ちをしている人に
ローキックして、グラグラ ドンガラガッシャンしたくなる
気持ちも分かって欲しいと叫びたい。
 
 
 
さてさて。
 
 
人は、どう生きたってかまわない。
傲慢に生きたいのなら、それでもいいようにも思う。
 
、、、そもそも、この考え自体も傲慢なんだから
ワタシだって傲慢だ。笑。
 
 
ただ、
 
自分の目に飛び込んできたり、
自分の世界に入り込んできた人や情報は、
なにかしらで自分が選択してキャッチしたものだ。
 
完全に、まったく関係ないものは
人はキャッチできないし、したとしても意識しない。
 
 
そこで、
 
 
「自分が、その人と同じ渦中に入ったら?」
 
「しかも、その人と同じ年齢、性別、能力で、
 過去、立場、守るものなどを持っていたら?」
 
 
と自分に問いかけてみるか、
今の自分から1ミリも動かずに断じてしまうのかでは、
コツコツと差を生み出してゆくような気もする。
 
 
もちろん、当人とまったく同じような
渦中に入ることは、できないだろう。
 
 
でも、少なくとも自分の大切な人やものに対しては、
できるかぎり、最大限の想像力でもって
「渦中力」をみがいていければいいな、なんて思いやす。
 
 
 
ぬぬ。
 
書いてて、ワタシ自身の中に
たくさんの傲慢が渦巻いていることが分かって
自爆スイッチすぎたよ。笑。
 
 
 
 
ではでは!
 

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