手放せるところに、しがみつく
先日、とあるアスリートの方の相談を受けていた。
その方は、世界選手権でも
トップクラスの成績を収める、
日本を代表する、素晴らしい選手。
その彼が、今後さらに飛躍するために話を聞いてて
やはり、活動には資金も必要のため、
ビジネス展開みたいな話にもなったのだけど、
「え?
そこは、選手であるあなたじゃなく、
マネージメントしてくれる人に任せるといいんじゃね?」
と提案させてもらった。
すると、
「うーん、たしかにそうなんですけど、
自分の中の、お金への心理的ブロックが
手放せないと、飛躍できないような。。。」
との答えが返ってきた。
あいやあいや。それはチガウアルヨ!
そんなこと、ナイアルヨ!
ナイアル!
(あるのかないのか、どっちなんだ?)
最近は多くの人が「手放そう!」みたいなことを言うけど、
あたりまえ体操的に、
「人は、それぞれ手放せる領域に違いがある」
ことを、踏まえておいた方がいいアル。
まぁそりゃ、
恨みとか怒りは
ほとんどの人が手放した方がいいと思うけれど、
それ以外は、役割によってでいいと思う。
その彼は、
自分のやっているスポーツの種目をやっている時は、
「手放している」
「ゾーンに入っている」
という状態になっていると思うんだよね。
自分でコントロールしていないわけじゃないけれど、
力んでいるわけでもなく、大いなるものに委ねている状態。
そんな風に、自然となっていると思う。
少なくとも、
「手放しなさい」
とか偉そうに言っている人たちがそのスポーツをやったら、
恐怖心から絶対に彼のようには動けないし、
「手放し」を実践したりはできない。絶対。
そうなんよ。
スピリチュアルな人たちは、
スピリチュアルな分野において
「手放し」が得意なのであり、
アスリートは、自分の種目において、
手放しをしてゾーンに入ることができる。
お金を生むビジネスマンは、
ビジネスにおいて「手放し」ができるし、
トレーダーは、
トレーディングにおいてゾーンに入ることができる。
写真家は、撮影において
手放しができ、ゾーンを体験できるし、
画家は、絵筆を走らせることで
自由を感じ、手放しができ、
コピーライターは、ライティングにおいて
コントロールのない文章を書くことができる。
その他、どんな分野にも同じことが言えるだろう。
なので。
「お金のブロックが外れないから、
アスリートとして、どうなんだろう?」
みたいなことは、一切ないので、
「自分が、お金のブロックを外そう」
とか頑張るのではなく、
「お金のブロックが外れている人に委ねる」
という方向にだけ手放しをして、
自分は自分がゾーンに入れるところで頑張るのが
世のため人のための、あたりまえ体操。
(ま、限度はあるけどね)
ね?
ゾーンに入れるところにフォーカスする。
手放せるところに、しがみつく。
そんな気構えでよいのではないかな?
と思うのでありんす。
自分の入れるゾーンが本物であるのならば(←重要)
そこに手を差し伸べてくれる人は
必ず現れるのだから。
さてさて。
この世の中には、たくさんの人がいて、
関係性において、さまざまな役割を果たす。
全部、自分でやろう!
なんて頑張ってても世界は広がらないし、
人の役割を奪う事にもなるので、
「手放せるところにしがみついて、
しがみつく場所以外は、手放す」
っていう、禅問答みたいな生き方が楽なんじゃないかな?
と思いますわ。
ま、いつもながら、
ワタシ自身が、どこまで、
何を手放したりゾーンに入ったり、
無駄に執着しているのかは、
イッツ・イット(それはそれ)。
ではでは。