スポンサーリンク

「自分で考える」とは?

「イグさん、自分で考える、を定義してください」
 
はい来た。定義依頼^^
 
 
たまーにやってくる
 
「イグさん、○○って、どういうことですか?」
 
「過不足なく説明しやがれください」
 
という依頼。
 
 
今回の事件(←事件じゃない)は、
とある経営者さんからの相談。
 
 
その人のもとで働いているスタッフさんが
いわゆる「指示待ち」の人で、
どんな仕事でも、ひとつひとつ教えないと
動いてくれなくて困っている。という背景から。
 
 
うーん。。。自分で考えるを定義するのかぁぁぁ。。。
 
「それ、ワタシに聞く前に、
 それこそアナタ自分で考えようや」
 
という思いが脳裏をかすめたけれど、
問いかけられたからにはワタシは自分で考える(笑)
 
 
 
うーん。。。
 
 
おそらくは、
 
 
「自分で考えるとは、
 タイミング、場所、人への対応に全責任を持つこと」
 
 
なんじゃないかな?
 
 
 
たぶん、自分で考えるクセのない人に
「相手の立場になって!」とか言っても
イマイチピンと来ないだろう。
 
 
簡単に言えば
 
「紋切り型、ワンパターンで考えない」
 
ということなんだろうけれど、
では具体的には何を考えればいいか?というのは
上記の
 
 
「タイミング、場所、人」
 
 
という3つの要素なんじゃないかな?と思う。
 
 
そう。
 
 
同じことが起こったとしても
タイミングが違ったら、対応は全然違う。
 
 
それが朝なのか?夜なのか?
 
夏なのか?冬なのか?
 
平日なのか?休日なのか?
 
どんな時代・時流なのか?
 
 
 
本当はもっと細かく、秒単位での
変化やタイミング、
いわゆる「間」というのがあるだろう。
 
 
 
 
また、同じ事だったとしても
起きた場所や空間によって対応は違う。
 
 
自宅なのか?会社なのか?
 
日本なのか?海外なのか?
 
楽しい場なのか?厳粛な場なのか?
 
 
単純に空間という意味だけでなく
「空気感」によってもベストの対応は
変わるだろう。
 
 
 
さらに、同じ事が起こっても、
同じ事を言っても、
人によってまるで意味は違う。
 
 
相手の性格、感情、
 
相手との関係性、
 
相手の思いと相手への思い。
 
自分の意思。などなど。
 
 
 
これこそ
 
「男だから」「女性だから」
 
「○○歳だから」
 
「血液型が~~だから」
 
と言った紋切り型だけで対応しようとするのは、
あまりにも思考停止すぎるだろう。
 
 
パターン認識は強い。
 
しかしそれに依存し過ぎた時、
それは思考を放棄していることにつながるからね。
 
 
 
さてさて、そして。
 
 
このすべてに対して常に
ベストを出せなかったとしても、
その結果、起きたことに対して
全責任を担う。
 
 
 
「上司が言ったから」
 
「相手がクレーマーだったから」
 
「不景気だから」
 
「今の政治がなんちゃらだから」
 
「経験が無いから」
 
「こう習ったから」
 
「みんなが言っているから」
 
「雨だから」
 
「日本だから」などなど。
 
 
 
その他もろもろの状況
(タイミング、場所、人)だったとしても
いずれのせいにもしない。
 
 
少なくとも、心構え・気概として
100%、全結果を受け入れる。
 
 
それが
 
「自分で考える」
 
ということなんじゃないかな?
と思う。
 
 
 
誰かの、あるいは何かのせいにできる。
 
と、心の中で少しでも思っていると
思考は止まりやすい。
 
 
自分を誰かに委ねる。
自分を何かに委ねる。
 
 
ということになる。
 
 
 
。。。ま、個人的には
 
「私は自分の意思を丸投げするドヤァァァっ!!」
 
という生き方も悪かぁないんじゃない?
と思うけどね。
 
 
その上で、いずれにしても
自分の人生に起きたことは、
結局全責任を負うことになるんだけどね(笑)
 
 
ってなわけで。
 
こんな定義でよろしかったですか?
 
 
判断はお任せします
(↑委ねてるやん)
 
 
 
ではでは。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク