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時代を守る人、創る人

先日、いつもとはちょっと変わった飲み会があった。
 
 
その飲み会というのは、
 
「あいまいな定義のものを
 本人はどのように定義しているのかをシェアする会」
 
というテーマで、
 
「禅問答の会」
 
というネーミングで行なわれた。
 
 
 
13名のメンバーが集まり、
私はその中で主催者の一人だったんだけれど、
 
そもそもそんな「禅問答の会」に参加したい!
なんて思う人も、相当変わっているわけで(笑)
 
 
最終的には、様々な話を
各人が行なうという、とてもエキサイティングな
飲み会になったんだよね。
 
 
(まぁ、私はこんな会を主宰しちゃうような
 クレイジーな人なので、今後ともごひいきに(笑))
 
 
 
その会では、答えのない質問が
たくさん取り交わされた。
 
 
「なぜ世界には、男と女がいるの?」
 
 
「エゴとは何?エゴを定義せよ」
 
 
「死とは?死ぬとどうなるの?」
 
 
など、今回のテーマが分かっていない人が聞いたら
ドン引きのテーマばかりだ。
 
 
 
それが証拠に、興奮冷めやらぬ帰りの電車の中で
帰り道が同じ人と、同じような事を色々話していたら、
私たちのまわりだけ、席がガラーンと
空いてしまったくらいだ(笑)
 
 
 
 
 
さてさて。
 
 
 
その中で、あまりドン引きされなくて
かつ興味深い話がでたので、それをシェアしたい。
 
 
 
その「問答」の中に、
 
 
「一般的な人とは、どんな人のことですか?」
 
 
というものがあった。
 
 
 
もちろん、これも答えはないし、
飲み会での席だから、そこから話が膨らんでもいった。
 
 
 
 
様々な話をした後に、
シンプルな回答として
 
 
 
「あなたが誰かに、
 “常識的ですね”と言われたとする。
 その時に、
 
 安心するのが、一般的な人。
 不安になるのが、そうじゃない人。」
 
 
というのが出た。
 
 
 
 
まぁ、この答えがどれだけあなたの賛同を
得られるかはわからない。
 
 
ただ、たくさんある答えのひとつでは
あると思うんだよね。
 
 
 
 
そして、たぶん。
 
 
 
 
世の中には、
 
「時代を守る人」と「時代を創る人」がいて、
そのバランスが大きく傾いた時に
新し時代がやってくるようにも思う。
 
 
 
ちょっと、話が飛躍しているけれどね(笑)
 
 
 
 
「時代を守る人」は、
その時の「常識」に照らし合わせて
「常識的ですね」と言われることを好む。
 
 
逆に、「時代を創る人」は、
今自分を取り巻いている「常識」ではなく、
自分の世界観を軸にする。
 
 
 
 
 
 
今までの日本は、
 
「常識的ですね」
 
と言われて、安心する人が多かったように思う。
 
 
自分は、まわりから見ても
そんなに浮いた存在ではない。
 
 
みんなとうまくやっていけている。
 
 
 
そんな気持ちが大勢を占めていたんだと思う。
 
 
 
だから、時代が守られていたのかもしれない。
 
 
 
 
しかし、今はどうやら
 
「このままで、大丈夫なんだろうか?」
 
「今までの常識って、本当にいいのだろうか?」
 
と思う人が増えてきた。
 
 
 
今まで「常識的に正しい」と思っていた
企業、各種マスコミ、学校教育などに
 
 
「いや、ちょっと待てよ」
 
 
と思う人が増えてきている。
 
 
 
 
その結果、誰かに
 
「あなたは常識的ですね」
 
と言われると、安心するどころか
 
「私、本当に大丈夫なんだろうか?」
 
と思う人も出てきている。
 
 
 
 
「時代を守る人」と「時代を創る人」に
優劣などはない。
 
 
どちらも大事だし、むしろ平時は
時代を守る人が9割方いないと、秩序を保てない。
 
 
 
しかし、
 
 
時代がゴゴゴっと動く時に関しては、
 
 
「えいやっ!」
 
 
と、今までの常識をひっくり返す必要もある。
 
 
 
 
だから、
 
「常識的ですね」と言われると不安を覚えるような人が
増えていくと、時代の変化の兆候なのかもしれないよね。
 
 
 
 
私は、もはや常識とか非常識が
何がどうなのかも分からなくなってきているので
偉そうなことは何も言えない(笑)
 
 
 
あなたは、
 
「常識的ですね」と言われて、
 
 
安心する?
 
  
それとも、不安になる?
 
 
 
どっちも、素敵だと思います。
 
 
ではでは。
 

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