今回のも妄想爆発なのだが、
お付き合いくださる方は、お付き合いくださいマセ。
たぶん、今回の記事は
何かしらを達成したことのある人は同意してくれて、
そうじゃない方は、そうでもないだろう。
何かを達成しようとしていて
頑張っている方に向けたエールだと思っていただければ。
(別に、何かを達成することだけが人生だ、
と思っているワケでもない)
さて。
どうやら、「神様の台本」というのが、ある。
、、、っていうか、そういう風に思っていると
なにかと便利だ。
ここでいう「神様」というのは、
特定の宗教のものでもない。
「神様」に抵抗があるのであれば
「サムシング・グレイト」でも、
「宇宙の法則」でも、なんでもいい。
とりあえず、この記事では「神様」と呼ぶ。
神様、あるいは宇宙は、
森羅万象に対して、悪意を持つことはない。
むしろ、その「もの」が役割を果たせるよう願っているし、
役割を果たせれば、その「もの」は幸せを感じる。
なので、
「すべてのものの幸せを願っている」
と言い換えてもいいだろう。
今回は、人間に限定して話を進めていこう。
で。
神様は、台本を用意している。
その台本があるからこそ、
その人が幸せになれるのかを神様も確認できるし、
本人も幸せをかみしめることができる。
台本は、いたってシンプルで、
1.決断と離別
2.障害
3.打開
4.達成
という四章構成だ。
ひとつひとつを少し説明しよう。
—
【1.決断と決別】
まず、本人が「やる」と決める。
ここが神様のやさしい(人によっては厳しい)ところで、
本人が「やる」と決めない限りは、台本を進めない。
この決断は、
燃えるような決断の時もあれば、
なんとなく「やるかー」とフワフワ決めるようなものまでさまざま。
そして、あまりに本人の役割と違う場合は、
「ちょ、、、おま、、、それじゃないだろ?」
「そろそろ、役割を変えるタイミングだろ!」
ということで、神様が今の台本が強制終了になるような
イベントを発生させることもある。
いずれにしても、決断という方向性が決まると、
いざ台本のスタートである。
そうなると、まず初めに神様がやるのは、
「キャスト変更」である。
今まで本人にとって必要だった登場人物の
「配置換え」が行われる。
つまり、今まで仲の良かった人との離別である。
「ええ!?この人が離れていくの??」
みたいなことが起こる。
そしてそれは、自分の決断からの離別なのか、
相手が違う道を歩くことを決めた結果の離別なのか、
どちらとも言えない。
ただ、神様の台本はとてつもなく美しいので、
たいていの場合は双方ともの決断による離別が多い。
タイミングが少し違うから、戸惑うことも多いけれどね。
で、この「決断と離別」が、ある程度完了しないと、
神様は次の章に台本を進ませることができない。
だって、今後の方向性にとっては
不必要な登場人物がいることは
本人にとってマイナスになるから。
なので、ここで「慰留」や「離別拒否」を選ぶと、
「ああ、オッケー。台本は今まで通りでいいのね」
と、何も変わらない人生がまた続く。
離別を拒否できる(ことがある)のも、
神様のやさしいところだ。
—
【2.障害】
次にやってくるのが、「障害」だ。
やろうとしていることが、うまくいかない。
行ける!と思ったのに、失敗する。
ものすごい邪魔が入る。
これは、神様の粋な計らいで、
「達成感した時の喜びを最大にするため」
「人生をドラマティックにするため」
に、必須のものだ。
そして、どこかのタイミングで「障害」を入れるとしたら、
決断の序盤の方がいいだろう、という配慮でもある。
「神様が本気度を試している」
という見方もできなくはないが、
「どこかで苦労するなら、序盤がいいんじゃね?」
という配慮ともとれる。
ちなみに、この「障害」が何年、何十年にもわたっている人もいるが、
その分(諦めてないのであれば)大きなギフトがもたらされる。
そして、これまた親切(?)設計なのが、
この障害の章で諦めたら、
また台本を新たに選べる、というところだ。
「私の人生、苦労ばっかり!」
という人は、
決断と離別→障害→諦め→決断と離別
のサイクルと選んでいる、のかもしれない。
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【3.打開】
障害の次は、「打開」の章である。
これまた神様の計らいで、
「打開は、本人がやった(ように見える)」
まで、次の章に進まない。
障害の章で、なんとか状況を改善させようともがく。
すると、大きなヒントをもらえる。
ただ、本気でなんとかしようとしないと、
そのヒントに、なかなか気づけない。
ただ、そこに到達すると、スルスル~っと
やりたいことができるようになり、
次の「達成」の章に進めるようになる。
ここで陥りがちなのが、
「同じことをやり続けて打開しようとする」だ。
もちろん、コツコツと続けることで打開できることもある。
ただ、その方向性が間違っている(≒役割じゃない)のに、
自分のやり方にこだわっていると、
いつまで経ってもこの「打開」の章は終わらない。
上手くいかないのであれば、違うことをやる。
それが大事。
「続けていればイケる!」というのと
「違うことをやった方がいい」というのは、
エゴの含有量が多い場合は、続けていてもアカンので
違うことをやった方がいい。
ちなみに、この「打開」を模索しているうちに、
もっと本質的な役割に(本人の意図とは無関係に)
気づいてしまい、また「1.決断と離別」から始まる人も
まれにいる。
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【4.達成】
と、いうワケで、ここで「達成」となる。
たぶん、「達成」したことのある人
(大きなことでも、小さなことでもなんでもいい)は、
この「神様の台本」に合意してくれるのではないだろうか?
まぁ、完全に「役割」に目覚めた人の中には、
障害を障害と思わずに、そのままゾーン(没入)に入って
そのまま打開→達成する人もいる。
その場合は、「導かれた」みたいに思うかもだけれど、
実のところ、台本は同じだ。
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さてさて。
この「神様の台本」説は、妄想っちゃー妄想だ。
ただ、そう信じると「便利」ではある。
神様の台本は常に完璧で、やさしい。
何も決めなくてもいい。
離別がイヤなら、決めたことをキャンセルしていい。
障害を乗り越えなくてもいい。
打開策を見つけず、ずっとその場にいてもいい。
どんな時でも台本を選びなおしていい。
そして、台本を進めて行って、達成してもいい。
自分が何かをやり遂げようとした時、
「いや、神様の台本は完璧だし」
「今は、この章なのだろうな」
と思う(思い込む)と、勇気がもらえる。
別に、このまま信じなくてもいい。
反論もあっていい(けど、コメントしないでいいよ)
あなたが、あなたの決めた
あなたの役割を果たせますように。
ではでは。
