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「コレが好き」の先にあるもの

前回、
 
「お金に愛される人がこだわるもの」
 
ということで「時流マインド」というものを
紹介した。
 
 
 
「今、コレがヒットしそうだ」
 
「コレなら、多くの人が必要としている」
 
「コレなら儲かる」
 
という「時流」には徹底してこだわるんだけれど、
それ以外のことには、徹底してこだわらない。
 
 
 
 
それ以外のこととは、例えば
 
 
「私は、コレが好きだ」
 
「私は、コレでやっていきたい」
 
 
といった好き嫌いのこだわりや、
 
 
「コレは、人から批判されるな」
 
「コレは、モラル的にどうなんだろう?」
 
 
といった、進め方に対する迷いも
ほとんどない。
 
 
 
そんな人が「時流マインド」を持っている人だ、
とお伝えさせてもらった。
 
 
 

「時流マインド」の人は、
良く言えば、完全に「自分のフィルター」を
外せる人と言える。
 
 
「自分の好き」とか、ちっぽけな「自分のモラル」よりも
 
「大きなトレンドに乗り、その中で自分ができること」
 
に努力できるわけだから、とても謙虚な人だとも
言えるだろう。
 
 
昔にヒットしていたものには目もくれず、
より時流に合ったものにフォーカスして動いていく。
 
 
とても素晴らしい才能だと思う。
 
 
 
 
 
 
では、
 
「時流マインド」と逆の人には、価値がないのだろうか?
 
 
 
「自分が好きというものにこだわる」
 
「私のミッションは、コレである」
 
「コレがなくなったら、私は私じゃなくなる」
 
という人は、ダメなんだろうか?
 
 
 
 
私は、そんなことはないと思う。
 
それどころか、そんな人たちこそが、
人間の人間らしい部分を、支えているのだとも思う。
 
 
 
どんなに他の人に見向きもされなくても、
 
どんなに「古くさく」なってしまったものでも、
 
どんなに時流に合っていなくても、
 
 
それでも自分の信じた道を愛し、
進もうと思いながら、もがく姿は、美しい。
 
 
 
 
たぶん、「時流マインド」と逆のマインドを持っている
「愛好マインド」ともいうべきマインドの持ち主は、
じぶんが損な生き方をしている、ということを
うすうすは気づいている。
 
 
でも、それでも自分が「これだ」と思うものに
エネルギーを注がずには、いられないわけだ。
 
 
その結果、どんなことが起きるのか?
 
 
 
 
それは、
 
 
そこに「文化」が発生するのだと思う。
 
 
 
時流に乗っていようがいまいが、
とにかく「それ」を愛し続ける。
 
 
ごくまれに、たくさんの人に振り向かれることもあるけれど、
それが自分の生きている間に起きるかは
保証がない。
 
 
もし、たくさんの人に振り向かれる時流が来たとしても、
ほとんどの場合は、「時流マインド」を持っている人に
オイシイところは持っていかれてしまう。
 
 
 
それでも、「それ」を愛好し続ける結果、
「それ」は、「文化」としてのパワーを持ち始める。
 
 
そんな気がするんだよね。
 
 
 
絵でも、音楽でも、写真でも。
 
そんな崇高なものじゃなくても、
ゲームでも、おもちゃ作りでも。
 
下駄作りでも、陶芸でも、料理でも。
 
 
 
「コレが好き」
と、流行りすたりに流されずに
好きでい続ける人がいるからこそ、
「文化」として継承されることができる。
 
 
 
地球上の全員が「その時の時流に合ったものを」と
100%追いかけていったら、
「文化」は、なかなか育つ土壌はできないだろう。
 
 
そんな気がするんだよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
たぶん、「時流マインド」の人が、
 
「もっと便利に、もっとニーズに合ったものを」
 
と進めていく中で「文明」は発展する。
 
 
 
そして、「愛好マインド」の人が、
 
「この“好き”の先にあるものは、何なのだ」
 
と探求していく中で、「文化」は育っていく。
 
 
 
だから、「文明人」からみると「文化人」は
 
「カビの生えたものを大切にしている変人」
 
に見えるし、「文化人」からみると「文明人」は、
 
「確信犯的に文化を破壊する野蛮人」
 
に見えるんだろうね。
 
 
 
 
どちらが人間としての生き方として正しいとか、
どちがら幸せになるなんてのは、ないんだろう。
 
 
ただ、なにを自分の人生で体験したいかで
選択が変わるというだけだ。
 
 
 
「時流マインド」でアクセルを踏みたい人にとっては
「愛好マインド」はブレーキになり得る。
 
 
「愛好マインド」で突き進みたい人にとっては、
「時流マインド」は、障害になり得る。
 
 
 
ごく稀にいる天才以外は、
このアクセルとブレーキを、
全く同時期にコントロールすることは、なかなか
骨の折れる作業なのかもしれないね。
 
 
 
と、分かった風なことを言っている私自身が、
 
「バランスだよね」
 
と言いつつ、文化にも、文明にも
貢献できていないのかもしれないけれど(笑)
 
 
 
あなたがどんな生き方をしたいか、
いつか聴かせてくださいね。
 
 
ではでは。
 

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