と聞かれることがある。
まぁ、心配になるよね。
AIとかが仕事を奪うと言われてるし、
働き方は色々と変わってくるんだろうから。
で、
面白いのが、
こういう質問を投げかけてくださるのが、
すでに引退されている方も多いということ。
引退されているわけだから、
世代が離れている私との共通の話題として
聞いてくださっている側面もあるのだろうね。
高度成長期を支えてきてくれた
団塊の世代の方々とお話しさせていただくと、
本当に学びになることも多い。
その上で、
「あ、前提が違うな」
と思うこともたくさんある。
そりゃ、世代が違うのだから当然で、
どちらが良いとか悪いということでもない。
ただ、
「君が引退するころには、
年金をいくらもらえるんだろうねぇ?」
と言われたりすると、
「え?そもそも、もう期待してないっす」
と心の中で思ったりするし、
「私の家は、住友建設で建てたから
地震が来ても大丈夫なんだ」
と言われたりすると、色々な意味で
「すげー!」
と思ったりもする。
「私の頃は、会社に出勤していればよかった」
と仰る会社経営者の方もいるし、
「土地は値上がりし続けるものだったから
今は大変だね」
と言われても、そもそもそんな時代を
生きたことがないので、大変さは感じない。
「最近の若者は無気力だ」
と言われても、超絶エネルギッシュな
20代30代しか知らないから、
「え?どこにいらっしゃるんです?」
と思うしかない。
あ、誤解しないで欲しいのが、
これは、そんな引退世代の方々を
ディスっているのではなく、
「本当に、前提と常識が違うんだなぁ」
と、ただただフラットに捉えているということ。
仮に私が団塊の世代に生まれていたら、
協調性のないハミダシ者として疎まれていただろうから、
そんな時代を生き抜いて来られた方には敬意しかない。
で。
今回の話だけれど、
「これから、何の職業が安泰か?」
という問いだけれど、
個人的には、
「この問い自体が、意味をなしていない」
と思ってしまう。
なぜなら、もう「働く」という事の
前提が変わりまくっているからだ。
分かりやすく言うならば、今までの
Where
↓
What
↓
When
↓
Why
↓
Who
という優先順位が、クルっと完全に逆転したのが
現在進行形なのだ、と思う。
そう。
今までは、
「どこで働いているのか?(Where)」
が一番大切だった。
どの会社で働いているのか?
どの組織で働いているのか?
どの団体や職種に属しているのか?
あるいは、どこの学校を卒業したのか?
といった「どこ」で、
少なくとも社会的ステータスは決まっていた。
その次に
「何をやっているのか?(What)」
だった。
会社の中で、肩書は何なのか?
弁護士とかお医者様で、何をやっているのか?
そんな「職種と肩書」がモノをいう時代だった。
まぁ、
「いつ働いているのか?(When)」
は、平日の日中働いている人もいたし
夜のノミニケーションが中心の人もいただろう。
そして、
「なぜ働いているのか?(Why)」
を問われることは、少なくとも社会的には
あまり重要視されなかったし、
「あなたは誰なのか?(Who)」
は、いわゆるサラリーマン構造の中では
少なくともお客さまにとって重要視されることは
あまりなかったように思う。
(だから、自分を滅して働いていたのだから)
しかし。
そのルールは、完全に逆転しつつある。
AIが活躍するようになり、
グローバル化で、世界中の労働者が
低賃金で仕事を取り合う市場で
「この職業は安泰」
というものは、ない。
もう「何を?」というWhatは、
正直、なんでもいいのだ極論だけど。
逆に言えば、
「あなたから買いたい!」
という「Who」が明確であれば、
今後なくなると言われている職業でも、
もう絶滅しちゃったと思われるような職業でも、
ぜんぜん食べて行ける。
そして、その「Who」を明確にするためには
「なぜ、私がこの道を選んでいるのか?」
という「Why」が重要視されることも増える。
(なぜ?が分からなくても、
お客さまがあなた自身を選べばいいんだけどね)
んでもって、
「いつ?」
「なにを?」
「どこで?」
という質問は、
あなたという「Who」を表現する
アイデンティティを補完するだけの
役目になってゆくだろう。
もちろん、全部がすぐにそうなっている
ワケじゃないだろうけれど、
「どこに勤めれば安泰だろう?」
「何をやれば安泰だろう?」
という質問自体が、もはや意味をなさなく
なりつつある。
どこでもいい。
何でもいい。
いつでもいい。
それよりも、あなたが何者で、
なぜそれをやるのか?
それが大切。
お医者様も弁護士も一流企業のキャリアも
それだけでは「強いカード」ではなくなる。
もちろん、素晴らしい職業だし
今後もなくならないけれど、それは
「医者だから」
「弁護士だから」
では、「で?」となる。
逆に言えば、
消しゴム専門家とか、
カップラーメンアナリストとか、
まばたき専門家とか、
反復横跳びしかできないとかでも、
そこに「なぜ」に根付いた「あなた」があれば、
充分ビジネスになり得るかも知れん知らんけど。
今回のは、特に極論だけれど、
時流としては、そんな風に流れているんじゃないかな?
と思うのでありんす。
がんばりたいと思います。
ではでは。