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命令、依頼の力

 
命令や依頼は、相手の力をそぎ落し、本質を壊す。
 
 
ふだん生活していると、
 
「○○をしなさい」
 
とか、
 
「○○をしてくれない?」
 
と言った命令や依頼をされることってあるよね?
 
 
 
命令も依頼も、言い方や態度が違うだけで、
 
「行動をコントロールする」
 
という意味においては、同じことだ。
 
 
あなたは、命令をされると
どんな気持ちになるだろうか?
 
 
「勉強をしなさい」
 
「かたづけなさい」
 
「ゴミを捨てなさい」
 
「コピーしなさい」
 
「ノルマをクリアしなさい」
 
 
などなど。
 
 
なんか、やる気だったものも、
みるみるやる気がそがれていくような
そんな気分にならないかな?
 
 
依頼の場合は、
ちょっとソフトな言い方になるけれど、
基本的には、同じだ。
 
 
今、やろうと思っていたことを頼まれたりすると
なんか、がっかりする。
やる気がそがれてしまう、なんてことがあるよね。
 
 
 
 
そして。
 
 
この「命令、依頼のもつネガティブな力」は、
本来、人間なら誰でも持っている根源的な力までも
パワーダウンさせてしまうことがある。
 
 
本来人間が持っている根源的な力。
 
 
たとえば、成長しようとする力。
 
たとえば、人を愛す力。
 
たとえば、貢献する力。
 
 
 
そんな力も、
 
「成長しなさい」
 
「愛しなさい」
 
「貢献しなさい」
 
と命令、依頼されると、とたんにパワーを失う。
 
 
成長する気持ちも、愛する気持ちも、貢献する気持ちも
どんどんとそぎ落とされて行く。
 
 
さらに、そこから命令、依頼どおりに動いたとしても
もはや、根源的な力の本質が失われた状態になってしまう。
 
 
誰かから言われて成長しだしたとしても、
本質的な成長の力を味わうことはできない。
 
誰かから言われて愛したとしても、
愛の本質的価値にふれることはできない。
 
誰かから言われて貢献したとしても、
それはもはや貢献ではなく、服従に近い。
 
 
 
命令や依頼は、相手の力をそぎ落し、本質を壊す。
 
 
 
 
 
 
もしあなたが命令や依頼を受けて何かを始める時は、
できれば、命令された作業の中に
 
「自分なりの解釈と価値」
 
を見つけてからやった方が
パワーが出やすいだろう。
 
 
「あの人に言われたからやっているんじゃない。
 私が、○○だと思うからやるんだ」
 
 
なんてね。
 
 
 
 
そして。
 
 
あなたが誰かに命令、依頼したくなった時、
命令、依頼をしなければならない時は、
気をつけた方がいい。
 
 
 
相手の力をそぎ落し、本質を壊す可能性があるからだ。
 
 
 
特に、大切な人に
成長や、愛や、貢献などという
人間の根源的な力を要求する時は、
本当に気をつけた方がいいと思う。
 
 
 
要求そのものが、相手の根源的な力を
奪ってしまう可能性すらあるのだから。
 
 
 
ちょっとした頼みごとはともかく、
 
根源的な要求は、単なる「おすすめ」くらいにして
相手が自発的にやり始めるまで待つ、
 
くらいの気遣いが必要かもしれないね。
 
 
 
 
 
 
 
 
成長、愛、貢献などが素晴らしいと
声高にのたまう人がいる。
 
 
それはそれで大切なことなんだろうけれど、
相手におしつけるような形には
ならない方がいいんじゃないかなぁ、と思う。
  
 
 
相手の力を奪わない程度に、
 
「こういう生き方もあるよね」
 
とお勧めするくらいでいいだろう。
 
 
 
さらに。
 
 
 
 
 
自分で自分に「命令、依頼」をしていないかも
気をつけたいよね。
 
 
「私は成長しなくちゃ」
 
「愛さなくっちゃ」
 
「貢献しなくっちゃ」
 
という思いが強すぎると、
 
結局、自分自身に対して命令、依頼をしていることになる。
 
 
 
すると、自分自身が本来持っている、
成長、愛、貢献の力をそぎ落し、本質を壊す可能性がある。
 
 
 
心から湧き上がってきた時に
最大のパワーを発揮し、本質的な力に触れることが出来る。
 
 
 
だから、
 
 
あんまり自分自身にも強制するような種類のものじゃ
ないんだよなぁ、なんて考える今日この頃。
 
 
 
日々、やらなくちゃいけないこともたくさんあるけれど、
基本は、「心は自由」という感じで生きていきたいなぁ。
なんて思うんだよね。
  
 
ではでは。
 

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