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魅力の高め方。

今回、ものすごく乱暴で抽象的な話だけれど
そもそも「魅力」ってぇのが抽象的だから許してちょ。
 
 
人というものを、超絶ざっくりととらえると、
 
「ベクトル」と「パワー」
 
で出来ていると思う(この時点で乱暴)。
 
 
 
「ベクトル」ってのは、その人の生きている方向性。
 
 
何をしているのか?
何を好み、何を嫌うのか?
どんなあり方なのか?
 
 
それは職業によって現わされることもあるだろうし、
性格によっても現わされる。
 
その他、様々な趣味嗜好によっても現わされる。
 
 
「どんな生き方をしてきて、
 どんな生き方をしてゆくのか?」
 
 
が、ベクトル。
 
 
 
 
そして「パワー」ってのは、その人の生きる力。
 
本人が持っているエネルギー量、
熱量、蓄積、行動力。
 
生きる気合い。
現実に立ち向かう力。
こだわる力。
  
 
「どれくらいのスケールで生き、
 どれくらいの現実と相まみえるのか?」
 
 
が、パワー。
 
 
 
同じ理想を掲げている人は
ベクトルが似ていると言える。
 
 
スポーツ選手とビジネスマンとヤクザでは
ベクトルはバラバラだけれど
生きる気合いであるパワーは近い、
なんてこともあるだろう。
 
 
 
で。
 
 
人間関係で、一番居心地がいいのは
 
「自分とベクトルもパワーも近い人」
 
だろう。
 
 
 
でも、その居心地のよさに甘んじてしまうと、
他の人と交流ができなくなってしまう。
 
ひいては、安全な場所から
他の人を批判するだけの人になってしまう。
 
 
「私の世界は正しい。
 あの人の世界は間違っている」
 
 
と、少しのズレも許せないせこい人間になって
君を探しさまようマイソウルになってしまいかねない。
 
 
 
 
いやね。
 
 
人は、どう生きてもいいと思うんだ。
 
人の批判をして一生を過ごしても、
それが幸せならば、否定はしない。
 
 
そんな生き方を否定し始めちゃったら、
 
「人の批判をしている人を批判する人」
 
なんて、一番せせこましい立ち位置になっちゃう。笑
 
 
 
 
その上で。
 
 
 
「魅力を高めたい」
 
 
というのであれば、個人的には
 
 
「ベクトルが違っても、
 大きなスケール、パワーの人に触れる」
 
 
というのが、一番手っ取り早いと思うんだ。
 
 
 
 
「あの人は、金の亡者だ」
 
 
そうなんだ?
 
でも、生きる気合いが凄いのならば
(飲み込まれない程度に)
そのパワーに触れてみればいい。
 
単なる噂かもしれないやん。
自分の目で確かめてみれば?
  
 
 
 
「あんな凄い人に、私なんか。。。」
 
 
そうなんだ?
 
でも魅力を感じるのならば、触れてみればいい。
 
境界線を引いているのは、パワーのある本人じゃなくて
他ならぬ自分自身なんだから。
 
断られた時に傷つくのがイヤな、自分自身なんだから。
 
 
 
まぁねぇ。
 
 
生きる気合い、パワーの違う人に会うのは
ぶっちゃけ疲れるだろう。
 
相手のパワーが大きくても疲れるし、
相手のパワーが小さすぎても疲れるわな。
 
 
 
さらに、ベクトルも違う人に会うとなったら、
自分の持っている何もかもが通用しなくなる。
 
 
まさに、「別の土俵」なわけだ。
 
 
 
 
でも、そんな
 
「ベクトルもパワーも違う場」
 
を覗いてみるからこそ、
のちのちは自分の魅力を高めてくれるんじゃないかな?
 
 
 
 
恥もかくかもしれないし、
自分の価値観が脅威にさらされるかもしれない。
 
 
それでも、少しずつでも
そんなパワーに触れることは、悪くない。
 
  
「うわー、全然考え方も価値観も違うし、
 生きている気合も違うなんて
 会わない理由がないわー」
 
 
ってのが、きっと魅力を高める方法なのかな?と。
 
 
 
まぁ、あんまり無理しすぎると大変なので
ベクトルもパワーも近い
 
「マイ・スイートホーム」
 
的な場も確保しながら
ボコボコになって、ササっと帰る、みたいな。笑。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
ベクトルの違う人と会い、ベクトルを広げる。
 
大きな気合い・パワーに触れ、パワーを蓄積する。
 
 
それが熟成され、心の筋トレを続けると、
いわゆる「魅力」になるんかな?と。
 
 
 
。。。ワタシ自身が、どれだけできているかは
知らんけどね(笑)
 
 
 
 
 
ではでは。

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