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持たざる者の傲慢。

完全に独断と偏見に満ちているが、
 
「最もうまく行かない人の思考回路は?」
 
と問われたら、そのうちの一つとして
 
 
【 持たざる者の傲慢 】
 
 
と答えると思う。
(ま、この発言自体が傲慢なのだが)
 
 
 
「持たざる者の傲慢」というのは、
 
「私には力がない、能力がない、なにもない」
 
という前提のもと、
 
 
「だからがんばろう」
 
 
ではなく、
 
 
「だから、受け取ってかまわない」
 
「他に頼りっぱなしでかまわない」
 
「持っている人は与えるべきだ」
 
 
という思考回路に行く、
いわば「もらいっぱなし精神」のこと。
 
 
 
 
いやね。
 
そりゃ、誰だって完ぺきではないし、
「持てる者」と「持たざる者」があるってのも
分からんではない。
 
 
こんな毒を吐いているワタシだって、
きっと他の誰かから見たら
「持てる者」に見える部分もあるだろうけど、
ほとんどの場面においては、私は
「持たざる者」の自覚だったりもする。
 
 
でもその「持てる者」「持たざる者」って、
ある特定のカテゴリーの中だけ、ってことの方が多いし、
誰にだって「持っているもの」がある。
 
 
それは時間かもしれないし、
若さかもしれないし、経験かもしれないし、
知恵かもしれないし、見方かもしれないし。
 
 
誰にでも、生きている限り、
本人だけの時間と空間と経験と関係がある。
 
 
いずれにしても、
何事においても「持っていない」っていうことは
極めて少ないはずだ。
 
 
 
そうだろうし、仮に、
 
「あの人と比べて、
 私はすべてにおいて何も持っていない」
 
ということなのだとしたら、
なおさら努力せんとあかんくない?
 
 
いや、努力はその人の好きずきなので
してもしなくてもいいけれど、
 
 
「私は何も持っていない。
 ゆえに、もらいっぱなしでオッケー☆」
 
 
っていうのは、なんかちがくね?と思う。
 
 
 
これまた偏見なのかもしれんが、
 
基本的に、何かをギブしてもらったら、
まずは「ギブしてくれた当人に」返そうとする方が
健全なんじゃないかな?と思う。
 
  
同じものじゃなくても。
同等のものじゃなかったとしても。
それがマナーであるように思う。
 
 
 
どんなに弱い力であったとしても、
誰かが渡してくれた愛情の振り子を、
相手に押し返そうとするから
それがより大きな力になってゆく。
 
愛情の振り子を投げてくれているのに
見てるだけ、ありがとうって言うだけ、
受け取ってるだけなら、
それはいつしか止まってしまうだろう。
 
 
 
「返さなくていい。
 また別の誰かにギブすればいい」
 
っていうのは、「与えた側」が言う言葉であって
「もらった側」がそう認識する話じゃない。
 
 
何か、どんな形であったとしても
相手そのものに返礼しようと心を砕く。
 
そういった気持ちを形にしていく人は
さらなるギブを受け取る循環に入ると思う。
 
 
 
そうではなく、
 
「だって、あの人にお返しできるものなんて
 なんにもないから思考停止」
 
「あの人は持っているから、
 別に私が返さなくても大丈夫」
 
「あの人にとっては、
 これくらい大したことじゃない」
 
「私ってダメな子だから」
 
「私が幸せになるのが最高の恩返し」
 
と思っちゃうのは、
個人的にはものすごく傲慢なんじゃないかな?
と思っているので、自重するように気をつけている。
 
 
だって、その思考回路は
最もうまくいかなくなる考えなのだから。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
現実的には、受け取っても返せないこともある。
 
あまりに愛と力に差がありすぎて
自分の無力さに申し訳なくなることもある。
 
 
でも、そこで開き直って
 
「私はできない。だからもらいっぱ!」
 
とか、
 
「何かでそのうち→すっとぼけ」
 
 
ってのは、極力避けた方がいいな、と
自己反省をしたりする。
 
 
 
なぜなら、
 
今、「持てる者」だった人も、
はじめは「持たざる者」だったはず。
 
そこから愛情の振り子を
その時にできるかぎりの力でお返ししてきたから
徐々に「持てる者」になれたのじゃないかな?
と思うから。
 
 
「持てる者」にも、当然、傲慢はある。
 
ただ「持たざる者」の傲慢もある。
 
 
一方通行でなく、双方の循環が大きくなり、
その結果、他者をも巻き込む大きな力が生まれるといいよね。
 
 
 
スーパー自戒をこめて。
 
 
 
ではでは。
 

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