いやね、世の中には様々な知識がありますわよ?
そして、たいていの知識や技術は
役に立つし、人を幸せにすることができる。
また、世の真実や教訓を授けてくれる
先人のありがたい知恵なんかもある。
ただな?
使い方を間違えると、
そりゃぁ、やっちゃぁ、いけねぇよ?
っていうことにも、つながりかねねぇってもんよ?
ほら、たとえば、
「すべての現象は、あなたの潜在意識が招いたもの」
とか、
「自分の在り方が、鏡のように現実化するのです」
みたいな考え方ってあるじゃん?
そりゃぁ、たしかに、そうかもしれない。
でも、
それを、つらい状況の真っただ中にいる人に
ズブリと刺すようにぶつけるのって、どうなの?
フラれた。
泥棒にあった。
クビになった。
お金がない。
事故に遭った。
病気になった。
そんな時に、
「でもそれって、あなたの在り方が招いたんだよね?」
とか
「潜在意識の引き寄せが…」
とか言っちゃう奴、なんなん?
それで傷ついている相手が
「うわぁ~、たしかにそうだね!
教えてくれてありがとう、キュン☆」
とかになるとでも思ってるの?
それとも、
「自分は達観しているレベル高い人間だドヤ」
って、天狗になりたいの?
そんな奴は、
「ならお望み通り天狗にしてやらぁっ!!!!」
と、鼻の穴に指を2本突っ込んで、
そのまま遠心力でグラグラ煮立った油に放り投げて
鼻の伸びた真っ赤な揚げ物にしてやりたい。
あと、
「ああ、その時は占い的に言うと…」
とか
「方角のなにやらが…」
とか
「守護天使からの試練が…」
とか言うのも、あくまで
「相手が喜ぶか?相手が楽になるか?」
という視点からじゃないと、
よけいなお世話のエゴ承認欲求になっちゃよね?
そういう、
自分の知識を
相手の気持ちを考えずに、
自分が気持ち良くなるために使うのは
ナレッジ・ハラスメント=ナレハラ
じゃねぇの?と思う。
仮に、いくらそれが事実だったとしても、
それを言うかどうかのタイミングってぇものがあるだろ?
これからステーキを「いただきまーす!」ってなってる時に
「あ、ぼく屠殺場で働いていて、
牛の解体に詳しいんですよ」
「たしか、この子は生前、ハナコっていう名前で…」
とかいう話を聴きたいのか?
亡き人を偲んでいる時に、
「酸素65.0%、炭素18.0%、水素10.0%、
窒素3.0%、カルシウム1.5%、リン1.0%、
硫黄0.25%、カリウム0.2%、ナトリウム0.15%、
塩素0.15%、マグネシウム0.05%」
「えっ?」
「あ、人間を構成している、主な元素な」
なんて話を聴きたいのか?
そういうことなんだよ。そういう。
あと、つらいことがあった人に
「よかったじゃない!」
とか言うのも、関係性とシチュエーションがあるからな。
フラれた→新しい恋ができてよかったじゃない!
泥棒にあった→命があってよかった!
クビになった→新しい人生の幕開けだね!
お金がない→お金を学ぶチャンスだね!
事故に遭った→人生を考える転機だね!
病気になった→習慣を変える、いい機会だね!
あのな?
それは、本人が気持ちを切り替えるために
自分で思うのはいいが、
第三者が言うのは、ホンマ気をつけようぜ?
安全圏の傍観者には、
ほとんどの場合、言う資格はないぜ?
そういう「リフレーミング(解釈の変更)」とかもそうだし、
他にもNLPとかコールドリーディングとか、
そういったツールも、使うタイミングあるぜ?
気をつけないと、
ツール・ハラスメント=ツルハラ
になっちまうから、ホント気をつけようぜ?
な!?
自分の得意技があるのはいいことだけれど、
そのツールを、
「どんなことも」
「どんな時でも」
「どんな人にでも」
使おうとするのは、危ねぇ。
文章、写真、整体、音楽、医療、金融、
芸術、体術、トーク、法律、、、、
さまざまなツールは、
「その人を笑顔にするため」
に使うのが、ええやろ。
自分の正当性を誇示したり、
誰かに強制的に「良さを教え」たりするのも、
やっぱタイミングと順番ってぇものがありんすよ。
さてさて。
もちろん、心から相手のためを思って
それでも失敗してしまうことはある。
ワタシなんて、めっちゃ、ある。
だからこそ、その上で、
「自分の知っている知識を、
今、ここで披露すべきか?」
「真実だとしても、それを言うべきか?」
「このツールは、今の相手を笑顔にするか?」
そんな配慮をしながら、使える人になっていけるといいよね。
そのナレッジやツールが、真実であればあるほど。
強力であればあるほど。
それらに精通していればいるほど。
「ナレハラ」や「ツルハラ」にならないように
取り扱っていきたいものでやんす。
気をつけます。
ではでは!