今まで色んな人と接してきて、
「うわ!なんだこいつ!
絶対“なにか”に守られている!」
「なんでこの人がやると、
こんなにラッキーな事が起こるの?」
みたいな人がいる。
逆に、
「あんなにパワースポット巡りとか
スピリチュアルなものに熱心なのに
なんてアンラッキーな人なんだろう」
とか、スピリチュアルにハマればハマるほど
本人が弱っていっているように見える人もいる。
そんな色々な人を見てきた上で、
「ああ、どうやらスピリチュアルパワーを
受けるには、こんな法則があるんだな」
という私見を持つようになった。
とか偉そうに語ろうとしている私自身は、
スピリチュアルなパワーというものを
なんとなくは感じているし、
大いなる存在みたいのはいるんだろうな、とは思う。
けど、そこまでハマっているわけではない。
そんな私が、どこまで話していいものやら
わからないけれど、
「スピリチュアルな恩恵の法則」
っていうものを書いてみようと思う。
さて、それではいきなり結論から話そう。
スピリチュアルなパワーの効能。
それは、
「本人のパワーを2乗にしてくれる」
という効能だと、個人的には思っている。
これだけ聞くと、
「なぁんだ。いいことじゃないか」
「何か変なこと言うのかと思ってたけど
安心した」
なんて思うかもしれないけれど、
実はこの法則は、ある意味残酷だ。
というのは、
「本人」のパワーを「2乗」にしてくれるわけだから、
本人のパワーそのものが最大の要素になるということになる。
例えば、
パワーの恩恵を得ようと思っている本人が、
すごい頑張りを発揮して、
100%の力を出しているとする。
しかし、100%というのは、
別の表現の数値で言うところの
「1」
でしかない。
「1」を2乗しても、結果は「1」。
つまり、100%の頑張りで
事に当たって、その上でスピリチュアルなパワーの
恩恵を得ようと思っても、
「まだ甘いよ」
ということになる。
もちろん、100%の力を発揮しているんだから、
そんなにおかしな結果にはならないだろう。
でも、
すごい偶然が重なって期待以上の成果が出るとか、
人智を超えた奇跡的なことが起きるとか、
そんな事にはならない。
あくまでも、頑張った分だけの
結果、成果が出るというだけにすぎない。
どうやら、スピリチュアルな力の恩恵を得るには、
100%の頑張りを超えた、
自分の限界を超えたあとにやってくるような気がする。
例えば、
自分は100%頑張った上で、さらに
誰か他の人のためにもなるような事をやるとか。
「このままいくと、どうにかなっちゃう」
というような、肉体的、精神的、知的な
ギリギリのラインを超えて頑張るとか。
これからの一生が変わってしまうほどの
大きな決断をするとか。
そんな、100%を超えた自分と向き合った時に
はじめて、「大いなる存在」は
「なら、ちょっと手助けしようか?」
と、気まぐれに思ってくれるようだ。
100%じゃなくて、101%の本気。
それが2乗のパワーとなって、
102%ちょいの成果が出る。
120%の本気となると
144%の成果となり、
150%の本気となると、
225%の成果となる。
そんな感覚的な体感があるんだよね。
そして、残酷なことに。
本人が100%の力を出しきっていない時に
スピリチュアルなものに頼ろうとすると、
パワーを得るどころか、パワーを奪われるかのように
弱くなるということになる。
2乗の法則なんだから、当たり前だよね。
本人が80%の力しか出していないのに
スピリチュアルなものに頼ろうとすると、
本来80%の成果は出るはずのものでも
64%の成果しか出ないことになる。
本人が50%の力しか出していないのに
頼ろうとすると、成果は25%しか出ない。
そして、完全に手抜きの30%程度の力しか
出していないのに頼ってしまうと、
もはや1割以下の成果しか出ない。
そんな感じで、どんどん本人の力が
失われていくという結果が待っている
ように感じる。
大いなる存在は、おそらく私なんかが
想像できることよりも、はるかに深いものなんだろう。
そんな存在の力を借りようとする時には、
せめて自分自身が100%を超えた頑張りをしていないと
失礼にあたると思うんだけれど、どうだろう?
とか言いつつ、けっこう他力本願で
生きている部分も、大いにあるんだけれどね。
スピリチュアルなパワーは
「本人のパワーを2乗にしてくれる」。
今のあなたには、今日の話は
どんな風に響きましたか?
ではでは。