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ペンよりも強いもの

「ペンは、剣よりも強し」。
 
この言葉は、どんな暴力や圧力があったとしても、
言論や思考の方が、最終的には強いのだ!
 
 
、、、みたいに思われているけれど、
一番最初に、この言葉を残したとされる
エドワード・ブルワー=リットンさんは、
 
「そんな意味で言ったんと、ちゃうわ」
 
と、草葉の陰から、ニタニタしていることだろう。
 
 
彼が言いたかったのは、
 
「ペンによる許可証へのサインの方が
 どんな武器よりも強いもんね!」
 
ということ。
 
 
なので、
 
「理不尽な圧力に屈せずに、言論で戦おう!」
 
なんてことじゃなくて、
 
「ペンって、本当に最強の武器ですね。
 どんな理不尽な圧力でも、思いのままです」
 
ということを言いたかったのだ。
 
 
、、、まぁ、ひどい話なんだけれど、
実際のところは、現代でも
 
「ペンの武器化」
 
は、行われているように思う、
みんなは、どう思う?
 
 
 
でも。
 
 
どうやら、言論という「ペン」の力よりも、
さらに強い「武器」が台頭してきているなぁ、
と、最近感じる。
 
 
それは、ネットワークであり、人脈であり、
それを支える人柄。
 
 
インターネットの普及により、
特定の報道機関の「ペンによる弾圧」は力を失い、
それよりも、
 
「好縁」
 
で結ばれた人が、それぞれのコミュニティで
それぞれの意見を持ち、育む。
 
 
なので、
 
「ペンは剣よりも強し」
 
は、いまだにその通りなんだけれど、
それ以上に
 
「縁はペンよりも強し」
 
という風に、時代が変貌しているようにも思う。
 
 
(いや、もしかしたら、
 昔から、縁の方が強い武器性を持っていたのかもだけど)
 
 
 
おそらく、
 
「剣によって、土地を制する」という時代から
「ペンによって、経済を制する」時代に変わっていったように、
 
これからは、
 
「縁によって、感情を制する」
 
という時代に、置き換わっていくのかもしれない。
 
 
シンプルに食べ物とかも、
 
「剣によって強奪する」
 
「ペンでお金を作り、そのお金で交換する」
 
という方法ではなく、
 
「縁によって好き嫌いが発生し、欲しいものが循環する」
 
みたいな時代になるのかもしれないよね。
 
 
で、その先は。。。。
 
まぁ、私が生きている間には、ないだろうけれど、
個々の存在そのものの生き方が問われ、
強い天命を生きることこそが本領を発揮する
 
「天は、縁よりも強し」
 
みたいな時代が、やってくるかもしれない。
 
 
 
もちろん、どんな時代になっても
 
「剣」を扱える肉体。
 
「ペン」を扱える知性。
 
「縁」をつなぐ心性。
 
「天」を知る自己対話と魂。
 
その4つが必要なことは、変わらない。
 
 
その上で、
 
その優先順位が、刻々と移り変わっている
そんな時代なのかもしれないな、と考える次第。
 
 
 
、、、と、こんなことを思い至って
 
「他にも同じようなことを考えている人がいるのかな?」
 
と思い、
 
「縁はペンよりも強し」
 
とググってみたところ、1件ヒット。
 
 
 
それは、2013年10月に、私自身が書いた記事だった(笑)
  
 
多少のニュアンスの違いはあれ、
3年前から、言っていること変わらへんやん(笑)
 
 
ま、一貫性がある、ということでお願いします。
 
 
ではでは。

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