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「プライドって、何ですか?」

先日、
 
「イグさん、よくプライドを持て!とか
 プライドを捨てろ!とか言われてますけれど、
 どっちが正しいんですか?」
 
「プライドって、なんなんですか?」
 
といった質問をいただいた。
 
 
個人的には、程度の差はあれ
自分に対するプライドは持っていた方がいいと思う。
 
バランスの良いプライドは、
自分に対する信頼、自信につながり、
その姿で、他の人にも安心を提供できるだろうからね。
 
 
ただ、そのプライドを
 
 
「どう持つか?」
 
「どんな風にとらえるか?」
 
 
によって、大きな違いが生まれるんじゃないかな?
なんて思う。
 
 
 
どんなことにプライドを持っていてもいいだろうけれど、
そのプライドを
 
 
【武器】
 
 
にするのは、相手にも本人にも、
あまりよくない結果を生むような気がする。
 
 
「ワタクシ、名家の出身でございますのよオホホ!
 あなた、お生まれは?」
 
とか、
 
「ボク、○○大学出身なんだよねぇニヤニヤ」
 
とか、
 
「俺、一部上場企業の○○の社員ドヤァァァァッ!!!!!」
 
 
なんていうことを振りかざして
自分を特別な位置に置こうとするのは、
プライドを武器に使っている例だと思う。
 
 
そういう人は、自分の思い通りに物事が進まないと、
 
 
「ワタクシは名家の出身だと言ってますでしょう!?」
 
「なんでエリートのボクが、こんな仕打ちを??」
 
「やっぱり一流企業に勤めていない奴はダメだ!」
 
 
と、逆ギレし、生身の自分を覆い隠してしまう
 
 
【 鎧 】
  
 
にもしてしまうので、それはもったいないと思う。
 
 
 
 
 
なので。
 
 
個人的には、プライドは
 
 
【 お守り 】
 
 
くらいの役割でいいんじゃないかな?と思う。
 
 
 
持っては、いる。
 
そして、心が弱気になりそうなときは、
心の支えにする。
 
 
「大丈夫。わたしなら、きっと大丈夫」
 
 
と、そっと、ぎゅっと握って前に進む勇気をもらう。
 
 
 
ただ、プライドは「お守り」なんだから、
勲章みたいに、やたらと見せびらかすものじゃない。
 
 
自分がそっと持っていて、自分だけが知っていればいい。
 
 
 
そんな存在。
 
 
 
 
そして、
 
持っているお守りが安産祈願なのに、
商売繁盛を願ったりするのがおかしなように、
場違いな場面では、その「お守り」に頼ることもしない。
 
捨てなくてもいいけれど、
持っていることを一旦は忘れる。
 
 
 
また、
 
遠い過去の記憶となってしまったプライドには
いつまでもすがったりせずに、
 
「今まで私に自信を持たせてくれて、ありがとうね」
 
と、手放す。
 
 
古くなったお守りには、
感謝をしつつお寺や神社に返納するような、そんな感覚。
 
 
 
もちろん、そんな簡単には
手放せたりできないこともあるだろうけれど、
そんな風に自分のプライドと付き合っていければな、と思う。
 
 
 
さてさて。
 
 
 
何にもプライドを持てないよりは、
プライドを持って生きていった方がいいと思う。
 
 
ただ、
 
プライドは、武器じゃない。鎧じゃない。
そして、勲章でもない。
 
 
プライドを「お守り」くらいにとらえて
足取り軽く過ごせていければな、なんて思う。
 
 
プライドはお守り。
 
未来を切り拓くのは、お守りじゃなくて
自分自身の行動そのものにかかっているのだろうから。
 
 
 
あなたは、どんなプライドを持ち、
そのプライドと、どんな関係性を築きたいですか?
 
 
ではでは。

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