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視野の広さって、

先日、友人と話をしている時に
ネパールで日本語を教えている人の話が出てきた。
 
海外の人に日本語を教えるのは
難しい面もたくさんありながらも、
 
「おもしろい!」
 
と思う瞬間もたくさんあるようで。
 
 
 
ある時、ネパールの生徒さんに
 
 
「『富士山は、~~~』のあとに続く言葉を
 日本語で考えてみてください」
 
 
という問題を出したところ、
とっても興味深い答えを出した生徒さんがいたそうだ。
 
 
その生徒さんの回答は
 
 
「富士山は、ヒマラヤの弟です」
 
 
というものだった、ということ。
 
 
 
これ、すごくない?
 
 
人によるかもしれないけれど、
これって、日本人の思考回路からすると
なかなか出てこない発想だと思わない?
 
 
この話を聞いて、私は
 
「うわぁ、やっぱり普段、
 発想が制限されているんだなぁ」
 
なんて思ったと同時に、
「視野の広さ」というもののイメージを
自分の中で変化させることができた。
 
 
 
どういうことか?というと。
 
 
 
みんながどうかは分からないんだけれど、
 
「視野の広さ」
 
という言葉を聞いた時に、
私の頭の中の視覚イメージは、
 
ある一点の場所に立っていて、
そこから、たくさんのものが見えている人、
 
みたいなイメージだったのね。
 
 
山でたとえるなら、
ふもとから見ているのでなく、
山頂から見ている人、みたいなイメージかな?
 
(伝わる?笑)
 
 
 
もちろん、そんなイメージも間違っていないんだろうけれど、
もう一つのイメージとしては、
 
「同時に、まったく違う立ち位置から
 ひとつのものを見ることができる」
 
というイメージもあるんじゃないかな?
 
なんて思い返したんだよね。
 
 
 
山頂から見ている、というのも視野が広いんだろうけれど
それだけではなくて、
 
ふもとからも見ていて、
 
中腹からも見ていて、
 
山じゃなくて街からも、海からも見ている。
 
 
それをまるで「分身の術」を使っているかのように
同時に多くのフォーカスを持つことができる人っていうのも
 
「視野が広い」
 
と言えるのかもしれないな、なんて思った次第。
 
(まぁ、正確に言うと「視点が多い」かもしれないけれど)
 
 
 
「富士山は、」のあとに続けられる言葉を
 
 
日本人の観点からも見られて、
 
ネパール人の観点からも見ることができて、
 
他の外国人の観点からも、
 
男性の視点からも、女性の視点からも、
 
動物の視点からも、無生物の視点からも
 
同時に見ることができる。
 
 
 
同じように、ある事柄に対して、
 
自分の立場からも、
 
Aさんの立場からも、
 
Bさんの立場からも、
 
お客さまの立場からも、
 
無関係な人の立場からも、
 
時代を超えた人の立場からも、
 
 
同時に見ることができたら、それは
 
「視野が広い」
 
ということになりそうだよね?
 
 
 
 
 
さてさて。
 
 
「視野を広くしよう」
 
 
というのは、良いことが多い感じがするし、
視野が狭いよりも広い方が役立つことも多いだろう。
 
 
ただ、漠然と
 
「視野を広げなくちゃ!」
 
と思っても、なかなか
どうすればいいのかが分かりにくかったりする。
 
 
物理的に、自分の目で見える範囲を
広げるトレーニングなんて、どうやっていいか
わからないものね?
 
 
 
なので、
 
 
それだったら、
 
「視点を多くしてみる」
 
の方が、イメージがつきやすいかもしれないし、
その結果、視野が広がったのと同じような効果が期待できる。
 
 
 
「あの人には、どう見えるだろう?」
 
「海外の人から見たら、どう捉えられるのだろう?」
 
「時代を超えたら、どう映るのだろう?」
 
「無生物から見たら、これって?」
 
 
そんな自問を意識して繰り返しているうちに、
自然と
 
「視野は広がっている」
 
のかもしれないなー。なんて思った次第。
 
 
私も、今以上に視野を広げるために、
より多くの視点を意識したいと思います。
 
  
見たこともないネパールの人、ありがとう(笑)
  
 
ではでは。

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