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その線のすべてを上から見る時まで。

「今を生きる」なんて
カッコいいこと言うけれど。
 
その意味合いを誤解すると、
いつまでも誤魔化す生き方になりそう。
 
そして、自分に嘘をついていることも
いつのまにか分からなく麻痺して、
そのまま終わりそう。
 
 
 
自分の過去の経験が
思い描く未来に影響する。
 
未来への期待や不安が
過去の出来事の意味合いを変える。
 
 
 
過去の不幸な出来事に影響されて
今を生きるのは、もったいない。
 
過去の栄光にしがみついて
今を生きるのは、人の足を引っ張りかねない。
 
 
未来への不安にさいなまれて
今を生きるのは、幽霊を怖がるのに等しい。
 
今、なにも積み重ねることなく希望を持つのは
未来への冒涜のようにも思える。
 
 
 
「今を生きる」。
 
 
その通りで大切なことだけれど、
それは刹那的に生きることと同義じゃない。
 
 
人は、過去から様々なものを背負っている。
 
 
それは「幸」と呼ばれるものであったり、
「罪」と呼ばれるものであったり。
 
 
そして「幸」や「罪」という名前すら、
ひょんなことから変わったりもして
意味合いがくるりと宙返りしたりもする。
 
 
そんな過去たちを見ないふりをしても、
何も変わらない。
 
 
 
私たちは誰でも、
無数に分岐する人生を歩んでいる。
 
ただ、その道は、一筆書きでしか歩めない。
 
 
 
「今を生きる」というのは、
 
 
今という「点」を書くことではなく、
 
過去からずっと描いてきた軌跡を
未来のどちらに伸ばすのか?という
「線」の、この瞬間に集中せよ、
ということなのだろう。
 
 
望んでも、他の人が描いてきた「線」には
なれないし、飛び越えることもできない。
 
「あちら」に、一足飛びに行くことはできない。
 
 
そして、描いてきた線を消すことも、
まったく同じようになぞることも、
描いている「紙」を変えることもできない。
 
 
でも、
 
 
だからこそ、
まったく同じものが描けない軌跡だからこそ
美しく、かけがえもないのだろう。
 
 
もしかしたら、私たちは 
「終わりの時」に魂になって
上から見るのかもしれない。
 
自分が一筆書きで描いてきた道を。
 
 
 
その時まで、本当はどんな絵、
あるいは字になっているのかは、
全体を見られないのだろう。
 
 
それはあまりにも大きく、長いものだから。
 
 
楽しみであり、こわくもあり。だね。
 
 
 
今、どんな軌跡になってるんだろう?
 
そして、いつかそのすべてを見る時、
「よかったな」と思える線を描けていたらいいな。
 
 
あなたは?
 
 
ではでは。
 
 
 
 

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