お腹って、減りますやん?
お金、欲しいですやん?
人恋しくなったりしますやん?
それぞれ、とっても大切なんだけれど、
私たちって、しばしば
「そうじゃないトコロ」
で、欲しがったりもして、
そうすると、問題がいつまで経っても
解決しなかったり、悪化したりする。
—
「あー、何か食べたいなぁ」
っていうのは、本来はカラダが欲すること。
でも、けっこうな頻度で
カラダ以外が食べ物を欲する。
実はお腹は減ってないのに、
刺激が欲しかったり、脳の休みが足りなくて
アタマだけが食べ物を欲しがったり、
寂しかったり、分かってもらえなくて
そんな辛さをかき消すためだけに
ココロが食べ物を欲したりする。
その食べ物は、本来必要なものではないので、
肥満につながったり、体を害したりする。
—
「お金が欲しいなぁ」
お金は、もともとは必要なものを手に入れる
交換のツールとして、自分が提供した価値を
数値化したもの。
それが
「安心・安全のために!」
「将来が不安!」
と、自分の身=カラダを守るためだけに
お金を追い始めると
よりアタマのいい人に、からめとられる。
「もっとカッコよく見せたい!」
「あの人よりも、すごくなくちゃ!」
と、ココロを飾るためだけにお金を求めると
いつまで経っても終わらない無間地獄に堕ちる。
そんなお金は、本来必要なものではないので、
自分の可能性を閉ざし、才を腐らせる。
—
「友達が欲しいなぁ」
「恋人が欲しいなぁ」
それは本来、あたたかな交流をするために
ココロを満たし合うのに必要なもの。
でも、人を欲する時、
カラダを満たすためだけに求めたり、
「あの人は、私にとって損かな?得かな?」
と、アタマだけで欲すると、
その人間関係は、いつか破綻する。
その人間関係は、本来必要なものではないので、
トラブルを生んだり、荒んだ心の温床になる。
—
私たちに必要なものは、
欲して、手に入れればいい。
そして、自分の中に取り入れ、
そこからアウトプットすればいい。
でも、
それを欲し、取り入れる前に
「あれ?これって、
私の ” どこ ” が欲しているんだろう?」
と立ち止まり、もし「本来」の部位が
ひとつも必要としていないのであれば、
思いとどまる方がいいのかもしれない。
もちろん、いつも純度100%でなくてもいい。
カラダ、アタマ、ココロが混ざっていてもいいし、
分かっていてもジャンクに行きたいときもあるだろう。
ただ、基本路線としては、
カラダに必要なものを、カラダに。
アタマに必要なものを、アタマに。
ココロに必要なものを、ココロに。
それが、「満たされる」を生むのだと思うから、ね。
ではでは。