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なるようにある。

つい最近「イグさんの座右の銘は?」と
聴かれたことがあってさ。
 
 
それはもう、何年も何年も変わっていなくて
座右の銘ってか、大切にしている軸の言葉は、
 
” あるようになる ”
 
なんだよね。
 
 
自分の在り方どおりに、現実世界は為ってゆく。
 
自分が「こう生きるんだ!」「こう在るんだ!」と
念じたとおりに、現実は進んでゆく。ということ。
 
 
自分から遠い人であればあるほど
それは実感値を持って感じられると思うし、
逆に、自分自身のことになると
 
「本当に?」
 
と疑ってしまうこともあるけれど、
やっぱりそうなのだろうと思う。
 
 
約束を守れば、守られるし、
 
偽れば、世界は偽りに彩られるし、
 
満ち足りていれば、満たされるし、
 
攻めれば、戦いが起きる。
 
 
私自身がどれだけ「あるようになる」を
思い知り、体現しているのかは未知数だけれど、
でも、森羅万象の真実だと私は思う。
 
 
 
で、
 
これって逆も真なりだなぁ、と思って。
 
 
 
以前、とあるパーティで知り合った方が
 
「昔、詐欺師に騙されたので、
 そんな自分を変えたいです」
 
と言ってたのだけれど、
そのパーティの中に、
 
「あれ、どう見ても詐欺師だろ!!」
 
という人たちが紛れ込んでいたのね。
 
 
そこでどうなったかというと、
「自分を変えたい!」と言っていた人は、
私との立ち話をそこそこに、
その詐欺たちの輪の中に自分で入っていった。
 
実に、実に楽しそうだった。
 
 
 
それこそ数百人いる大きなパーティ会場で、
話す人なんて選び放題なのに、
自分から、わざわざそういう所に飛び込んでしまう。
 
別に私と話すのがつまらんかったら
それはそれでいい。
 
けど「詐欺師に騙された自分を変えたい!」のに
そこに行かんでもよくね?とは思った。
 
 
 
でも、実は、
 
 
こういうことって日常茶飯事で、
 
「あの人に相談するくらいなら
 あっちの人の方がいいやん!?」
 
とか、
 
「どう考えても、
 あの人を恋人にするのは違くね?」
 
とか、
 
「あなたの人生、
 その人は責任持ってくれませんぜ?」
 
とか、
 
「え?それを採用すると、
 今までのビジネスが停滞しますけど?」
 
みたいなことがパンパカ起きている。
 
 
 
「そっちは危険!」
 
と言いたいのは山々だけど、
指摘したところで本人が選んでやっていることだから、
何も言えない。
 
(いや、実はけっこう言ってるけど
 あまり聞く耳を持たれないのが我が人徳よw)
 
 
 
なので。
 
 
たぶん
 
「あり方によって現実は ” なる ” 」
 
のと同様に、
 
「未来が ” そうなる ” ように、人は在る」
 
のだなぁ、という現実が胸を貫く。
 
 
 
本当は痩せたくない。
 
本当は小規模なビジネスでいたい。
 
本当は一生、お金で苦労していたい。
 
本当は、愛されたくない。
 
 
そんなこともあるんだろうね。
 
 
 
と。
 
 
言って我が身を振り返ると、
まぁ、あいたたたたた、、、、な
セルフ北斗百裂拳なワケで。
 
 
「あのまま行ってたら、
 いまごろ全然違うステージだったろうなぁ」
 
「経済的にも、社会的にも、人格的にも、
 もっと成長できていたろうなぁ」
 
と、リアルにイメージできることが
山のようにある。
 
 
私は私で、自分の器とステージでしか
モノが見えていないのだからね。
 
だから、やっぱり、
自分の道は、自分で決めるしかねぇな。と思う。
 
 
 
ただ、その上で、
 
自分が信頼している人、
自分より視野が広いと思っている人の話は、
 
少なくとも1回は聴いてみて、
それでもやっぱり「こっち!」って決める猶予は、
自分の中にあってもいいな、と胸に手をあてる。
 
 
 
実のところ岐路は日常に撒かれていて、
ほんの1ミリ、1度ずつ角度を変えている。
 
 
特に大きな岐路は、きっと「人」だろう。
 
 
人と会うのは好機で転機だ。
同様に、人と別れるのも好機で転機だ。
 
 
ただ、その出会いと別れは、
 
「自分がなりたい自分」
 
につながっているか?それとも
 
「自分が繰り返してしまっている自分」
 
につながっているのか?
 
 
どの「なる」を引き寄せる「ある」なのか?
 
 
めっちゃ気をつけたいと思います。
 
 
自戒しかねぇ。笑。
 
 
 
ではでは。
 

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