あのさ、「怒りは二次的な感情です」
みたいな論調ってありますやろ?
他の感情(心配とか、がっかりとか、傷ついたとか)が
根っこにあり、それが怒りという表現に変わっている、
みたいな。
それって、ワシは、よーわからんのよね。
それで分かる人はそれでいいんだけど、
個人的には、まるで分からんのです。
「怒りは他の想いが蓄積したり、
あるいは反応しているから二次的で
もとの一次的なものの正体を探れ」
って言われましても。
いや、チョ・マテヨ。
そんなこと言ったら
「悲しみ」とかも「喜び」とかも
同じこと言えるやんか?
てか、虫さんとか爬虫類さんも怒るやん?
あれも二次的感情なの?
虫さんに
「その怒りにある根っこに目を向けてごらん」
みたい語りかけると、なにか晴れやかになるん?
ならんやろ。
と、思うので「怒りは二次的感情」論には、
「感情という心の動きに
アタマで考えた屁理屈で煙に巻くんじゃねぇ!」
と怒りを覚えます笑。
で。
ここからは、やや抽象的な話になるのだけれど、
「そもそも怒りは悪いことなのか?」
ってことなんだけれどさ。
個人的には、
「怒り」も天から与えられた感情のひとつだから、
悪いとかそういうことじゃないと思っている。
えーやん、怒っても。
ただその上で、怒りにも
「波動の高い怒り」と
「波動の低い怒り」ってのはあるように思う。
波動の高り怒り。
それは自分の大切なもの(自分自身も含む)を
護ったり、理不尽なことに境界線を引くもの。
あるいは、その怒りを昇華させ、
自分の得たい未来への推進力とすること。
そんなのは「波動の高い怒り」じゃないかな?
代表的な高波動の怒りは
「クリリンのことかーーーーっ!!!!!!」
であることは間違いない。あれ?ちがう?(笑)
対して。
波動の低い怒りってのは、
誰か何かに対しての悪口。
行動の伴わない、建設的でない攻撃。
境界線を引くのではなく、領域を侵略するもの。
その辺は、あまりよろしくないように思う。
何がよろしくないかって、
怒っている本人が、めぐりめぐって
最終的にその炎で焼かれてしまうから。
「なるほど。でも波動が高いか低いかって
どうやって見分けつくんですか?」
って思うかもしれない。
ここが抽象的になっちゃうところで、
これを明確にすると、それこそ
「心の話を、アタマでどうにかする」
に陥ってしまうので難しいのだが。
でも、波動が高いか低いかってのは、
よほど鈍感じゃなかったら、
怒っている本人が分かるんじゃないかな?
バンっ!!!!と怒って、後はスッキリ!とか
その怒りに共感する人が多いとか、
くすぶってる感がない、とか。
逆に、
怒りの炎のクセに、なんかジメジメしていたり、
攻撃している相手以外も、なんか不快になったり、
結局、自分がつらくなったり。とか。
なので、
怒りという炎のエネルギーを何に向けるか?
そして高波動レーザーのように放出するか?
それとも低波動で自分を燻製にし、
そしてそのまま燃えカスにするのか?
そんな違いを感じつつ、
怒りと付き合えればいいように思う。
(ワタシができている、とは言ってない)
さてさて。
考えてみると、「笑い」とかも
高波動と低波動があるよね。
楽しくみんなでワッハッハー!みたいなのも、
静かにワクワクしているのも高波動。
逆に、人の不幸を見ながら
「ブヒッ、、、、ブヒヒヒ。。。ッ。。」
って笑っているのは、やっぱ波動低くね?
そう。
「笑いが大切」「怒りはよくない」なんて
思考停止の紋切り型の考え。
自分のエネルギーが高まり、昇華するのなら
その感情の出方が笑いであれ、怒りであれ
何かを生み出すように思う。
逆に自分のエネルギーを落とし、浪費するのなら
仮にそれが笑いであっても
自分や周りを貶めることになるかもしれない。
ま、いつも高波動でいられるわけじゃないし、
ワハワハしたりイジイジしたり、
笑ったり泣いたり怒ったり喜んだりで
人生を彩ればいいよね?
ってなワケで。
「怒っちゃダメ!」じゃなくて
「この怒りは高波動?低波動?」
でチェックしてみるのもいいかもしれないね。
いずれにしても、
あまり怒られたくはないけどなワシは。笑。
ではでは。