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カルトのつくり方。

「なんか、あやしい感じがする」
「近寄りがたい」
 
っていう組織や団体ってあるやん?
 
 
別にそういうワケじゃないんだろうけれど、
なんとなく狂信的な感じがするところ。
 
 
たとえば、特定のオンラインサロンやセミナー、
ある団体に熱狂的に傾倒するなんての。
 
 
そういう宗教チックな「カルト」って、
共通の特徴があるなぁ、なんて感じたので
今回はそんな私見をシェア。
 
 
 
 
さて。
 
 
カルトっぽい組織が持っている特徴は
主に2つある。
 
 
それは、
 
1.コンテンツ提供者の立場 > お金を出す人の立場
 
2.特定の人物を絶対化させる
 
というもの。
 
 
ひとつひとつを説明すると。
 
 
 
【1.コンテンツ提供者の立場 > お金を出す人の立場】
 
基本的には、資本主義社会においては
お金を出す人の立場の方が、やや上の場合が多い。
 
出資者やお客様の方が選択権を持っていて
コンテンツ(商品やサービス)を提供する方は
 
「選んでくれてありがとう」
 
という立場だ。
 
 
 
もちろん、本質的には
コンテンツ提供者とお金を出す人の立場は対等だ。
 
お客さまが偉いなんてことはないし、
その逆もしかりだ。
 
 
「お金を出す人の方が偉い!」みたいのが
極端な方に行くと、理不尽なクレーマーになったり、
はたまたブラック企業になったりもする。
 
 
 
だが、
 
その反対に、
お金を出している人の立場の方が
へりくだる関係性になると、
その組織体は閉鎖的になる。
 
 
学校、大病院、宗教、士業関連、
あとはたぶん、組合とかも。
 
 
その組織体の影響の及ぶ範囲で、
閉鎖的な空気感が醸成されるようになる。
 
大きくは国家なんかも、
「閉鎖」されてはいるから似たようなもんだ。
 
 
どっちが良い悪いって話ではなく、
 
コンテンツ提供者の立場 > お金を出す人の立場
 
だと、閉鎖的な組織体になる宿命を持っているだけだ。
 
 
ただ、それだけだと別に
「うさんくささ」みたいのは出てこない。
 
 
 
【2.特定の人物を絶対化させる】
 
もう一つ、こちらの特徴を持つと
だいぶカルトっぽさが出てくる。
 
 
お金を出している人が、
提供されているコンテンツに魅力を感じているのなら
怪しさは出ない。
 

学校も授業内容とか校舎とかアピールならカルトにならない。
 
病院も、少なくとも患者さんにとっては
治療が目的で、そこに所属するお医者さんを
絶対視しているわけじゃない。
 
士業なんかもそうだろう。
 
 
 
ただ、例えば創業者とか、組織に多大な貢献をした人とか、
中心人物に対しての「絶対化」「神格化」が始まると、
とたんにカルトっぽくなる。
 
特に、故人ではなく、現在も生きている人への絶対化は
カルトまっしぐらだ。
 
 
発信者を絶対視する。
 
コンテンツではなく「○○さん」「○○様」の
言動を崇拝する。
 
 
そうなると、中にいる人はいいのだけれど、
はたから見ていると「なんかこわい」ってなる。
 
 
 
人なんだから、そこにいる人に魅了されるのは
決して悪いわけではない。
 
ただ、それが度を過ぎてしまっていたり、
組織戦略的にリスペクトを仕向けるようになると、
カルト臭が出てくるのは、ごく自然なんじゃないかな?
 
と思う。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
伝わっているとありがたいのだが、
個人的には、カルトでもなんでも
所属している人が幸せならばいいと思うし、
そういった組織体たちを批判するつもりもない。
 
 
ただ、今回話した2つの特徴を持ちながら
オープンで誰からも愛される組織体になるのは
きわめて難しいんじゃないかな?なんて思う。
 
 
「セミナー講師」なんて、
うかうかしていると今回の特徴の2つを持ちやすい。
 
そして、視野と自己認識を間違えそうになる。
 
気をつけろ俺!
 
 
 
ただ、あえてカルト化を狙うのであれば、
今回の2つの特徴である
 
1.コンテンツ提供者の立場 > お金を出す人の立場
 
2.特定の人物を絶対化させる
 
を強化するといいと思う。
 
 
 
目指せ!最強教祖!
っていう生き方も、悪くないんじゃないかな?
 
 
私はムリだけどな!(笑)
 
 
 
ではでは。
 
 

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