最近は、おかげさまで、たくさんの人が
「こういう時は、どうすればいい?」
と、私に相談をしてきてくれることが多い。
そう言う時は、その時の私ができる限りの
アドバイスをするんだけれど、
アドバイスをした後が面白い。
しばらく経った後に、その人と話をしていて
私の方が
「こういう時は、どうすればいいんだろうねぇ?」
と話すと、その人が的確に私にアドバイスをしてくれるのだ。
で、
「おお!いいねぇ!さすがっ!」
と、私がびっくりすると、相手は
「いやいや、このアドバイス、
以前、イグゼロさんからもらったものですわ」
と伝えてくれる。
先日も、商品の価格設定などで私が迷っていると、
友人がすさまじく的確な指摘をしてくれた。
いやぁ、本当に人って、
自分のことになると見えなくなるものだよね(笑)
知的なアドバイスだけでなく、
他でも同じような体験がある。
私はずっと気功の稽古を受けていて、
私も含めたお弟子さん同士で
組み手のようなこともする。
その時、相手には
「ここは、こうした方が良い」
「今は、ちょっと技のスピードが遅かった」
と、アドバイスをすることが出来る。
しかし、
いざ自分が相手に技をかけようとすると、
さっきアドバイスしていたことが、自分で出来ない。
お弟子さん同士では、
「いやぁ、相手のことは分かるのに、
自分では出来ないよねー」
と笑い合うのが、もはや通例みたいになっている。
でも、だからと言って
出来ていない人からのアドバイスが無駄か?
というと、全然そんなことはなく、
自分の技を見直すのに「値千金」の
アドバイスとなっているんだよね。
稽古の相手も、それが分かっているから
私にガンガンアドバイスしてくれるし、
私も感じたことをバンバン伝える。
そして、
「お前、出来てないのに偉そうに言うなよ!」
とは、誰も言わないし、言おうとも考えない。
「アドバイスはできるけれど、
自分の事になるとではできない」
「何回も勉強してきていることなのに、
いざ自分ごとになると、忘れてしまう」
そんなことって、たくさんあると思う。
だから、
信頼しあえる仲間同士であれば、
たとえ自分が完全に出来ていないことであっても
「ここは、こうした方が良い」
「こんなアプローチもあるかもしれない」
と伝え合うのは、とっても意味のある事だと思う。
もちろん、押しつけにならない程度にね。
「私はアドバイスをする側」
「あなたはアドバイスを聞く側」
あるいは、
「私はアドバイスを受ける側」
「あなたは教えてくれる側」
なんて、固定化するのは、もったいないと思う。
せっかく耳も口もあるんだから、
両方活用した方がいいに決まっている。
上手く行っている人であればあるほど、
必要に応じてアドバイスもするし、
積極的にアドバイスを聞く。
耳と口のバランスがいい。
私のセミナーにも
「もう、私から教わることなんて、
あなた全然ないですよね?」
という大成功を収めている人ほど、
なぜか宿泊型のセミナーにまで参加する。
たぶんそういう人は、
「自分が知っていることでも、
できていない部分がある」
「それをあらためて指摘されれば、
よりうまく行くことを体感している」
という人なのだろう、なんて思うんだよね。
成長が止まっている人ほど
「私は教える側だから、
少なくとも私が認めた人の話しか参考にしない」
「この場では、私の弱みは見せない」
あるいは、
「私はまだ人に提供できるものなんてないから、
今はまだ聞くだけにしておこう」
「ここでは、“生徒”に徹しておこう」
と、態度を固定化している人が多い。
あのさ。
成長、って伸びて変化していくことだよね?
なんで、固定化していて、成長しているなんて思えるの?
なんて、そんな現場を見ると心の中では思うけれど、
人から嫌われたくないから、言わない(笑)
自分が今、どのくらい出来ているか?
相手が今、どのくらい出来ているか?
そんなフィルターを通す前に、
自分のアウトプットを真剣に聞いてくれる人には
100%の自分をアウトプットする。
相手がアウトプットしているのならば、
それがどんな方向だろうと、受け止める。
そんな人間になれると、カッコいいよね。
もちろん、相手との信頼関係とか、
相手が自分をコントロールしようとしているとか、
単純に好き嫌いというのは、あると思う。
ただ、原則としては
「双方向コンサルティング」
というのが、信頼できる仲間と
共に成長していける姿なんじゃないかな?
と思う次第。
そんなことを偉そうに言う私は、
気心が知れると自分がしゃべり過ぎる傾向があるので、
気をつけたいと思います(笑)
ではでは。