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才能の正体

「あの人って、才能あるよなー」
 
「なんでそんなに才能あるの?」
 
 
みたいに、ある特定の技術や能力に対して
 
「才能」
 
という言葉を使うことって、あるよね?
 
 
 
誰かに言う時には、尊敬や羨ましさが
少し込められる言葉だし、
 
もし誰かから言われたら、
少し照れくさいような気持ちにもなる。
 
 
 
そんな「才能」という言葉だけれど、
多くの場合、その使われ方に「ズレ」があることが多いな、
なんていうことに、最近気がついた。
 
 
 
 
どういうことか?というと。
 
 
たいていの場合、誰かが
 
 
「あの人は、〇〇の才能がある」
 
 
と言う時って、その人の
 
 
「できること」
 
 
を指して言うことが多い。
 
 
 
絵が上手ければ、絵の才能があるとみんな認めるし、
 
お金儲けが上手ければ、商才があると言われる。
 
 
料理ができれば、料理の才能がある!ってなるし、
 
文章が上手ければ、文才に長ける、と評価される。
 
 
 
まぁ、それ自体は間違っていないと思うんだけれど、
 
 
たとえば私から見て
 
 
「うわ!この人才能あるなぁ」
 
 
と言う人に対して
 
 
「〇〇の才能がありますね!」
 
 
と声をかけると、けっこうな確率で
 
 
 
「え?そう?」
 
 
とか、
 
 
「ありがとう。でもまだまだなんだよね」
 
 
という返事が返ってくることも多い。
 
 
 
つまり。
 
 
 
他の人から見ると、
 
 
「それだけできれば、もう才能じゃない?」
 
 
と思うような事であったとしても、
本人としては、かなりの確率で
 
 
「できていない」
 
 
と思っていることが多いわけだ。
 
 
 
 
それは、本人としては、
もっともっと上のステージが見えているからであって、
 
 
「私が理想としている世界からすれば
 今の技術なんて、まだまだだ」
 
 
ということが多いみたいなんだよね。
 
 
 
 
ということは。
 
 
ちょっとヒネクレた考え方かもしれないけれど、
才能っていうのは、
 
 
「できていない、と思い続けられること」
 
 
それ自体が「才能」という捉え方もできるんじゃないかな?
なんて思う今日この頃。
 
 
 
 
 
現状に満足したら、そこから先の進歩はない。
 
 
でも、
 
 
「まだできてない」
 
「どうすれば、さらにできるようになるだろう?」
 
 
と思考錯誤し続けられるものに関しては、
生涯を通じて進歩、成長してゆく。
 
 
そして、本人からすれば
 
「まだまだできていない」
 
というものが、他の人から見たら
とても到達できないレベルのものに仕上がってゆく、
ということは、ありそうな話だよね?
 
 
 
 
 
さてさて。
 
 
 
他の人からすると、才能というのは
 
 
「できていること」
 
 
なんだけれど、本人からすると
 
 
「できていないこと」
 
 
になるなんて、面白いよね?
 
 
 
たぶん、普通は
 
「できない」
 
と思ったことの大半は、途中で諦めてしまうことも多いだろう。
 
 
 
でも、
 
 
「まだできていない」
 
 
と、今の自分の実力になげきながらも、
 
 
「それでも、努力し続けよう」
 
「思考錯誤を繰り返そう」
 
 
と、いい意味の執着を持てる、ということそのものが
実は才能の正体なんじゃないかな?
 
なんて思う次第。
 
 
 
 
あなた自身が、
 
 
「まだ全然できていない。
 でも、やり続けよう」
 
 
と執着できていることは、何ですか?
 
 
もしかしたら、それこそが他の人から見ると
あなたが生まれながらに持っているように見える
 
 
「才能」
 
 
に映っているかもしれないよね。
 
 
ではでは。

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