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ワリキリシンドローム

なんだかよくわからないんだけれど、
私のところによく来る質問のひとつに、
 
 
「これって、ホンモノですか?
 それとも、ニセモノですか?」
 
 
というものがある。
 
 
聞かれる対象は、
 
いわゆる情報商材の事もあれば、
儲け話のこともある。
 
 
また、誰か人物も、
 
「彼はホンモノだと思います?
 それともニセモノ?」
 
みたいに聞かれたり、ごく稀には、
骨董品みたいなものの真贋を聞かれることもあり、
 
 
「え??いつのまにやら
 なんでも鑑定団の人あつかい?」
 
 
みたいな状態だ。
 
 
さすがに骨董品とかは分からないので、
そういう時は、ぜひ専門家の方へ聞いてくださいね☆
 
 
 
 
で、だ。
 
 
ちょい前にも「ホンモノかニセモノか?」みたいな話を書いて、
その時には
 
 
「責任の差が、ホンモノニセモノを分けるのかもねー」
 
 
みたいな結論にしたんだけれど、そもそもなんだけれど、
 
 
「ホンモノ」
 
「ニセモノ」
 
 
って、そんなに分けなきゃいけないものなのかね?
とも思う。
 
 
 
いやね。
 
 
あきらかな模倣品を故意に作って、
 
「ホンモノでござい」
 
と人を騙して利益を得ようとするのは、
 
それが骨董品であれ、情報商材であれ、儲け話であれ、
人物そのものであれ、よくないとは思う。
 
 
 
ただ、
 
 
「ここから先がホンモノで、
 ここから1ミリたりともズレていたらニセモノ」
 
 
って、そんなにハッキリ分かるものじゃないものの方が
けっこう多いように思うんだけれど、いかがざんしょ?
 
 
 
私個人だって、ある一面を、ある人が見たら
 
 
「ホンモノ」
 
 
と言ってくれるかもしれないけれど、
違う一面、違う人が見たら、即
 
 
「はい、残念~、キミ・ニセモノ~」
 
 
となるだろうから、もう、そこはそっとしておいてほしい。笑。
 
 
 
 
「ホンモノか、ニセモノか?」
 
 
だけでなく、なんか
 
 
「白か、黒か?」
 
「ゼロか、100か?」
 
「善か、悪か?」
 
 
みたいな論調が多いなー、なんて風にも思う。
 
 
 
それはきっと、処理しなければいけない情報が多すぎる現在、
いろいろ割り切っていかないと追いつかないという背景もあるだろう。
 
 
さっさと割り切って、安心したい。
 
できるかぎり思考をしないでいたい。
 
 
そんな気持ちからの自己防御も働いているのかもしれない。
 
 
 
でも。
 
 
その思考だけだと、ちと危ないような気もする。
 
 
なぜなら、割り切るだけなら、
間違いなく「0」と「1」だけで構成されている
コンピュータの方が、はるかに優秀だから。
 
 
 
「ワリキリこそ、素晴らしい!」
 
となって、どんどん割り切って、
自分にとって有利なものだけを集めているつもりが、
 
 
いつのまにか、思考を
何者かに乗っ取られている。
 
 
なんてことにもなるんじゃないかなー、
と、物語好きな私としては妄想をしてしまう。
 
 
 
さてさて。
 
 
判断することは大事。
 
 
ただ、その判断には「遊び」というか「グレー」の部分もあって、
それを
 
「ハッキリしないといけない」
 
なんて責めるのではなく、
モヤモヤを味わえるのもオトナだな、なんて風にも思う。
 
 
 
「白か黒で答えろ!という難題」よりも、
 
「白と黒の間に、無限の色が広がってる」
 
なんて考えるのも素敵だと、
「子供たち氏」も言っております。笑。
 
 
 
安心しない。モヤモヤする。
 
そんなことが、知恵を醸造する源泉だったりするのかな?
 
と思ったり思わなかったりするような気もしないでもないです。
 
 
ではでは。

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