よくもまぁ、これだけ欲しいものが
次から次に出てくるなぁ、なんて思うことがある。
シンプルにモノで欲しいものもあるし、
お金が欲しかったりもする。
さらに、
健康な身体だったり割れた腹筋だったり、
良好な人間関係だったり
みんなからの承認だったり、
夢の実現だったり、自由な時間だったり。
ホント、いろんなものが欲しいと願う。
そこで、欲しいものを手に入れるために
いろいろと頑張ったり学んだりするんだけれど、
今までの経験上、見失っちゃいけないなと思うのは、
「結果は手段。プロセスが目的」
ということ。
言い方を変えれば
「欲しいものなんて、本当は欲しがっちゃいない。
欲しいのは、そのものではなく感情」
ということ。
私に限らず、欲しいものは、そりゃ欲しいわけだから
そのために色々と努力するだろう。
ただ、その努力をして、
手に入れられる自分になってゆけばゆくほど
「本当に欲しかったもの」
からは、離れていってしまうこともある。
人間関係なんかは、その最たる例だろう。
人間関係を良好にしたくて(あるいはモテたくて)、
さまざまなコミュニケーションの方法を学んだとする。
それによって、
うまく意思疎通はできるようになるんだけれど
果たして本当に気持ちが分かり合えたのか?
というと、微妙な時もあるだろう。
技術が走ると、想いは置いていかれる。
なぜなら想いは、技術ほど早く走れないから。
また。
自分を認めてもらいたい。
そしてみんなに幸せになってもらいたい。
そんな気持ちからお金を稼ぎ始めたとする。
しかし、そのうち
「お金を稼ぐこと」
そのものが目的化してしまい、
自分が集金マシーンになり果ててしまったことに気づく。
お金を稼ぐ手段は、たくさんある。
でも、そちらに走りすぎると
「みんなが認めているのは、
私じゃなくて、私の持っているお金なんだ」
「本当の自分を分かってくれる人はいないんだ」
なんていう燃え尽き感を味わいながら
それでも走ることをやめられなくなったりもする。
自分の夢をかなえるために、
たくさんの奔走をする。
しかし、いつのまにか夢という想いを
形あるものにすることに固執してしまい、
最初に描いていたものとはまるで違うプロセスを踏むことになる。
そして、
「私が欲しかったのは、これじゃないのに。。。」
と、誰にも分らないところで嘆いたりもする。
さて。
欲しいものを手に入れる方法はたくさんある。
そして、学びや技術は、それに近づけてくれる。
ただ、
学びや技術はレバレッジ(てこの効果)を生むが、
あなたの想いそのものには、レバレッジは働かない。
そのギャップにさいなまれて、
燃え尽きてしまうのは、もったいないことだろう。
もちろん、
「とりあえず、手に入れてからギャップを埋める」
という方法もあるし、それも反対しない。
ただ、
「欲しいものなんて、本当は欲しがっちゃいない。
欲しいのは、そのものではなく感情」
という本質を無視して突っ走っていると、
置いてきぼりにされたあなたの感情が
片隅で泣いていたり、あるいは暴動を起こすかもしれない。
だから。
学びや技術も大切。感情も大切。
学びや技術の方が、走るのが早い。
でも、ゴールに連れて行くべきなのは
あなたの感情だ。
ということは、
お互いに肝に銘じておいた方がいいと思う。
学びや技術が、あなたの感情と手を取り、
時には学びや技術が感情をリードしてあげてもいい。
でも、つないでいる手を振りほどいて
学びや技術が突っ走るのはお勧めしない。
学びや技術は、あくまで伴走者。
感情は、のろまだし、いろいろ道草くったり、
休んだり、迷走したりもするだろう。
でも、この「感情ちゃん」を
ゴールに連れていくことが目的で、
そのためには、ゴールよりも
どんな道程をたどるのかの方が大切だと思う。
さてさて。
あなたは、欲しいものを手に入れることができる。
望めば、なんでも。
でも、欲しい「それ」を手に入れる
旅に向かう前に。
そして旅の途中も。
かよわい「感情ちゃん」の小さな声には
きちんと耳を傾けた方がいいと思う。
どんなに弱くても、頼りなくても
「感情ちゃん」が主人公。
「感情ちゃん」がたどり着いたところがゴールだし、
「感情ちゃん」がいなくなったら、
たとえどんな素晴らしいところに到着したとしても、
その旅は失敗だ。
お互いに、気をつけて
遥かなる自分の冒険の旅を
進めていきたいものだよね。
ではでは。